要蔵の謎(3) | 田治見要蔵学

田治見要蔵学

金田一耕助学に対抗

田治見家は旧家です。普通なら要蔵の子は要介山とか要高とか泰蔵とか
そんな感じで親の一字を受け継いだりなんかするものでは?

俺が佐兵衛ー佐清・佐武・佐智にとらわれ過ぎているだけかもしれませんが。それに彼は旧家じゃ全然なかったけど

信長型のワンマンだったと思われる要蔵は、自分の子にも自分で名前をつけたと思われるのですが久弥、辰弥、春代のうち、しーていえば春代のよが要蔵のよ? という程度で(しーていうにも程がありすぎですが)要蔵とはどの子もまったく関係ありません。

それでいて兄弟には同じ「弥」をつけているから、衝動的な命名とはいえない。

いっぽう、ご先祖様は庄左衛門です。要蔵とはちょっと似てます。

里村慎太郎の親父(要蔵の弟)については別途触れます。おばは小竹小梅。

まー女子は嫁ぐ前提の時代なので、春代と双子はいったん除外しましょう。

要蔵→久弥・辰弥。

共通しているのはナニカという話なんですが――

「8」ですね実は。

要蔵のようは「八日」のようつまり8
辰弥久弥のやは「八つ墓」のやつまり8

恐らくこの仮説は間違っていない
か、全然間違っているかのどちらかだと思います。

さてこの件につき、要蔵とハッスルの権威である、さるお方よりコメントを頂きましたので以下。


うっかり八兵衛

朝から眠気を覚ます新説を目にして思わず反応してしまいました。
さすが24時間要蔵生活のハッスルさんですね。
要蔵、辰弥、久弥の共通項を「8」と見切るとは。
これが正解でなければ正解こそ不正解と断言できますね。
命名権については多分その地方やそれぞれの家で異なるんでしょうが地元であれだけ権力を誇った旧家となるとその家で最も年長の男子がその任に当たるのが一般的かと思われます。
つまり生きていれば要蔵の父か祖父、死んでいても既に遺言で次の子の名には「弥」をつけよとか残されているような気がしないでもないです。
庄左衛門の名に「8」の痕跡がないところからは庄左衛門自ら首を掻っ切って自殺したあたりからたたりを恐れてか自ら呪いを受け止めるためか「8」をつけるようにしたのだと推測できますね。
そして要蔵、辰弥、久弥の「8」の法則からは代々上と下交互に8関連の字を入れることになっていたんでしょう。
この上下交互にある法則に基づいた字を入れるというのは中国、朝鮮あたりでもよくある習慣ですので由緒正しき田治見家もそれに倣ったのでしょうか。
ということで辰弥の子供は男なら八兵衛、八十吉、覇王、破壊、八朔、洋介山etcとなっていたことでしょう。