要蔵の謎(2) | 田治見要蔵学

田治見要蔵学

金田一耕助学に対抗

唯一にして絶対、真の要蔵といわれる

山崎努の要蔵はなぜ「多治見」要蔵なのか?

原作ではむろん「田治見」です。まさか制作スタッフが多治見だと思いこんでた、、なんてオチじゃないと思いたいですが。

あえて多治見にしたことで彼らは一体ナニを伝えたいのか?

そもそも横溝がなぜ田治見姓を用いたのかも定かではありません。どうも岐阜県恵那あたりで見かけられる苗字なようなんですが……

恵那と多治見はまあまあ近いですね。ともに県東南部という感じです。どちらも土岐源氏の流れを汲むとのうわさもありますし、多治見姓と田治見姓のルーツは、ひょっとすると同じなのかもしれません


ただ土岐源氏がなぜ、毛利尼子の時代に八つ墓村に落ちていたのか?岐阜の田治見と八つ墓の田治見は無関係なのか?など謎は尽きません

余談ですが多治見市にはたじみ創造館という、あと少しでたじみ要蔵館だったのに……な魅力的建物があるようです

ほかに武蔵七党のひとつ、丹党の丹治比氏から出た田治見家というのもあるみたいですね。たじひと言うのは変わった苗字に思えますが、来歴等調査不足でよくわからません

多治比といえば、毛利元就はもともと吉田町多治比の「多治比猿掛城」とやらにいたそうで。どうやら毛利家の支城的ポジションのようですが、この名前がちょっと気になってつけた、という可能性はありそうな気もしますね。