特に原発のコラムではないのだが、今日ももう少しこの話題を続けてみたい。
日進市の対応は事大主義だったと批判されても仕方がないが、彼ら自身が潔く「判断ミス」だったと結論づけたようだ(朝日新聞の記事)。
本心は「花火をやっておくべきだった」とのことだとすれば、単なる辻褄合わせの謝罪以上の誠実さを感じる。
一方、市民の反応を考えたい。
京都や福岡で同じ事件があったことを思えば、西日本に住む住人のいくらかは、放射線とは無関係で暮らしたい。放射線というやっかいなものを持ち込んで欲しくないと考えていると断定しても不合理な解釈ではないだろう。
この件に関して、昨日、「蔓延する自己中心的な考え方」と書いた。
米国の資本主義的思想は、今完全に日本に侵食している。
資本主義とはつまるところ、共同体的な利益の追求より、個人の利益の追求を求める構造にならざるを得ない。日本経済は、バブル以後の弱体化の中で完全に米国にマネとまではいかないが、その思想の延長線上にあるといえるだろう。
少し例を挙げてみよう。
米国では、クレームなどを引き受けるカスタマーサービスは充実していない。不満足な商品やサービスに対しては、嫌と言うほどたらい回しにされ、とても時間がかかる。かつての日本は、顧客がクレームをするために電話して待つことなどなかった。それなりの人的経済的投与があったはずである。しかし、最近極めて米国的になったと感じる。顧客の満足より、はるかに、営利の追求は重要であると言わんばかりである。
つまり、我々の今住んでいる社会は、もう戻れないほどの資本主義に浸かっていて、その資本主義も完全にアメリカに存在するそれである。その結果、都会では既に個人主義が蔓延しており、今後、地方にも波及するであろう。
今回の西日本の住民の原発への対応は、蔓延するアメリカ主義とも云うべき資本主義を軸とした個人主義と無関係ではないと言いたくなるのである。
日進市の対応は事大主義だったと批判されても仕方がないが、彼ら自身が潔く「判断ミス」だったと結論づけたようだ(朝日新聞の記事)。
本心は「花火をやっておくべきだった」とのことだとすれば、単なる辻褄合わせの謝罪以上の誠実さを感じる。
一方、市民の反応を考えたい。
京都や福岡で同じ事件があったことを思えば、西日本に住む住人のいくらかは、放射線とは無関係で暮らしたい。放射線というやっかいなものを持ち込んで欲しくないと考えていると断定しても不合理な解釈ではないだろう。
この件に関して、昨日、「蔓延する自己中心的な考え方」と書いた。
米国の資本主義的思想は、今完全に日本に侵食している。
資本主義とはつまるところ、共同体的な利益の追求より、個人の利益の追求を求める構造にならざるを得ない。日本経済は、バブル以後の弱体化の中で完全に米国にマネとまではいかないが、その思想の延長線上にあるといえるだろう。
少し例を挙げてみよう。
米国では、クレームなどを引き受けるカスタマーサービスは充実していない。不満足な商品やサービスに対しては、嫌と言うほどたらい回しにされ、とても時間がかかる。かつての日本は、顧客がクレームをするために電話して待つことなどなかった。それなりの人的経済的投与があったはずである。しかし、最近極めて米国的になったと感じる。顧客の満足より、はるかに、営利の追求は重要であると言わんばかりである。
つまり、我々の今住んでいる社会は、もう戻れないほどの資本主義に浸かっていて、その資本主義も完全にアメリカに存在するそれである。その結果、都会では既に個人主義が蔓延しており、今後、地方にも波及するであろう。
今回の西日本の住民の原発への対応は、蔓延するアメリカ主義とも云うべき資本主義を軸とした個人主義と無関係ではないと言いたくなるのである。