再々発しました。
さらっと書いてみました
こんなにもhappy newsじゃないことを伝えるのって
しんどかったっけ?
って思うくらい、今回のことは残念で悔しくて、
ちょっ、ちょっ、待ってーっな具合に、
直ぐに受け止めてんだか、受け止められてないんだか。
で、
今、告知から3週間くらい経って、
happy newsもあり、色んなことが決まっていく時間の中で、
気持ちの整理もできたし、進む道が少し見えてきたので、
想いを綴ります。
去年の夏くらいから、CA125がジリジリジリジリup。
ほんと、再発のときはポンポンポンと大きくupしたのに今回は
ジリジリジリ、何か月もジリジリだから不安を通り越して
知らないふりをしていました。
先生(担当医)はジリジリした動きは再発の動きではなく、
あるいはアバスチンが効いてる。と。
ん?アバスチンで抑えてるなんて表現もキツイです
と長ーい不安の中、ついに2月のことです。
マーカーがポンッと上がってしまいました。
20→40。
そこでPET-CT
今までにないくらい、主治医のいない中での判定待ちは、
そして覚悟を決めての判定の日。
わたしよりかはお若い女医さんが今の担当医。
ドライ。
「傍大動脈リンパ節」が光っていました。
光は前の強烈な色ではなく、やや鈍目。に見えた。
だけど、再発に間違いない。と担当医。
また同じところ?前に手術でとりましたよね?
ちょっと上らしい。
次の週に非常勤のがん専門医とお話をすることになりました。
その時既に、いや、マーカーが40に上がった瞬間から、
どうしよう。主治医がいない。
わたしの頭には主治医に会わなくちゃ!がすぐにありました。
ただ、退職の仕方が特殊で、
退職時のわたしの心はこちら→先生との別れ☆
↑このブログをプリントして主治医にあった時渡そうかな?の提案に
重い重い重い、冷静な判断の妨げになってしまうから却下!と、止められたのでした。
そりゃそうだ
病院関係者はわからない。と誰も連絡先は教えてくれません。
ただ、今の担当医は、
わたしが個人的に、先生を探し出し、
これ行って来いってことよね?
実はすでに秋くらいに、ネット情報がでている主治医。
これはチームAMCの4人(同じ病院のお友達)で認識済み。
先生、あなたにはもう一生お会いすることなく、
宣言をして、
わたしと先生のいい思い出だけを胸に、生きていたのですよ!
なのに、こんな日が来るなんて
わたしはずっと先の未来に、予定していました。
元気です!あの時先生何も言わずいなくなって酷いよ!
だけど今元気です!って会いにいって文句の一つも言ってやろうと。ね。
覚悟を決めて、先生が非常勤でお勤めの病院に電話。
その日は先生オペの為、明日連絡します。と。
先生確かにそこに居る。が確定して満足なわたし。
次の日は仕事しながら朝からソワソワ。
なかなか着信がないな、とザワザワしていたら、
「お久しぶり。」
電話の向こうの、1年前の記憶にある穏やかな声。
すでに看護師さんに再発のことを伝えていましたから、
画像を見てみないとわからないけど、
担当医からは手術の話はでなかったので、驚きました。
そこからいつもの診察のように、
そして受診をしてくださる事になりました。
もうこの時点で、
主治医の受診の前に、
この先生とも1年ぶり。2回目の面接です。
こちらの先生はうちの主治医より少し先輩さん。
そして、恐ろしいことしか言いません。しかも軽い口調でね。
今回の再発治療について。担当女医さんも同席で。
開口一番に、抗がん剤。
そして主治医と連絡がつき、受診する旨を伝えると、お二方とも、
そしたら先生にお任せしましょう。
なんだかやっかいなことから解放された〜みたいにもみえたよ
ただ、こころよくわたしの情報をすぐに用意下さるとの事で、
その対応に涙しそうになりました。
そんなに好きじゃなかったけれど、ありがとうございます
その先生の話は決して間違ってはないのです。
一般論で、1番真ん中のお話。
こういうもんだからと言われて、
わたしはまだまだ抗いたい。
どちらが正しいかではないの。
やっぱりこちらは必死なの。
先生さまの情熱や想いは、
そして主治医の受診日。
全然違う場所で、知らない病院。
こちらの病院は先生が非常勤で行っている病院のお一つです。
待ち合いに、デター主治医のお名前
ドキドキが止まりません。このドキドキで今の不安はぶっ飛んでいました。
そして感動の再会。ドアをガラガラ〜
「お久しぶり」ん?
いやいやいや、そんなさらっと?えー急にいなくなってごめんね的なのは、、
ないよね、そんな軽く謝れないよね、そういうもんだよね。分かってるよー
だけど話の中で、気にはなっていた、僕も責任があるんでのような会話があったような。
病院からの治療方針の話を伝えたの。
冷静に、昔はそう言う感じじゃなかったんだけどな。って、
もちろん一般的には、抗がん剤。あとは先生のお考えと交渉だそうです。
だから手術が返って悪くする場合がある話や、
答えの見えない話は長引いていくなかで、
先生も最後まで手術を押し付けるわけでもなく、
そしてまた連絡くださいと。
えー、今返事したらだめですか?というと、
いや、いいんだけど考える時間欲しいかなーと思って。って。
優しいなー。なんかお人柄がねー。
先生ズルいよ、だって一年ぶりの再会とか、
ドラマラスにも、感情盛れちゃうもの。。。
なんかね、わたし主治医がいない中で、
なんか今は先生にご迷惑かしら?とか、
しおらしい事を考えてみたりしてますが、いやいやいやいや、
何が何でもお願いしたい!が本音でした
ごめんね。先生。
やっぱりわたし。重たい女なの。
まだ方針を決めていく途中ですが、
今主治医はまた違うとある病院に非常勤のため、いろいろ未定ですが、
初発治療から約1年半で再発。
再発治療から約1年3ヶ月で再再発。
やっぱりまた春の闘病再開になります
超きれいな病院での入院生活を楽しみに。
PETを受けに行った病院の「がん相談室の看護師さん」
ご自身のお辛い経験を話してくださり、
がん専門病院の「がん相談室の看護師さん」
先生を追いかけて行かれる患者さんは少なくないですよ。
おかしなことではないですよ。
もしここに転院される場合も、何も心配することはないですよ。
の言葉に、安心を頂きました。
うちの病院の化学療法室の看護師さん、
今までアバスチン20回ありがとうございました。
もしかしたら、転院してしまうかもしれません。とつたえると、
安心して抗がん剤を受けることができたこの場所は大事な場所です
治療頑張って元気になって顔を見せるのが目標です!
うちの病院の看護師さん。(主治医がいなくなった時から相談に乗ってもらってます)
先生、〇〇さんの元気な姿みせてあげたら、
先生が辞められてすぐは、
なぜ辞められたかはわからないままだけど、何があったにせよ、
情報のうすい中、その言葉言葉が主治医への信頼の再確認につながりました。
そして色々な面で支えてくれた友人たち。
あの時側にいてくれてありがとう。
孤独に震える夜も、近くの、遠くのみんなを思い出して救われていました。
不安からやる気へと変わっていくわたしの心の動きに気づいてくれ
LINEの内容ではなく文面から伝わってきたそうです。
だから、今はやる気もでて元気です
先日は大切な方々に大人の遠足にも連れて行って貰って、
会社には報告し、今は残ってるお仕事を片付けていってます。
そうね、いま会社のメンバーとの関係性がよっくって、
これからと言うときに、ねー。ほんと悔しい
不安な時は大きく深呼吸、
わたしは今、
しっかりと歯を食いしばる覚悟はできました