漢中は定軍山。
その頂はつねに白絹のような厚い雲に隠れ、ごつごつとした奇岩の連なりと手の掛けることのできないほどに切り立つ絶壁が、まるでしめしあわせたかのように交互に聳え立つ峻嶮な巨峰は、まさに禁足の領域……のはずであった。
人影が四つ。
いつできたとも知れない桟道をゆっくりと進んでいた。
先頭には、鈍色の単衣に皮の胴当てをつけ、とかせば腰までとどくであろう黒髪を、無造作にひとつに束ねた男。その後に縦横の比率がほぼ同じという赤毛碧眼の大漢と、人足ふたりが続く。
この集団を率いている男の名は、安倍満月。日本人である。
彼はこのような危険極まりない場所にいるには不似合いなほど、繊弱そうな体格の青年だった。汗と埃に汚れたその顔は、どちらかと言えば端正なほうであるが、精悍さよりも幼さが先行している。
彼は自分の身を守るのと同時に、続く異相の者の身も守らなくてはいけなかった。
胡服が胸に貼りつくほど大汗をかきまくっている男、羅不和を見て、満月は嘆息する。京師長安では五本の指には入るこの大商人「羅家の大旦那」の趣味に、今彼はつき合わされていたのだった。