もともと脳梗塞と糖尿病で闘病していた祖父が心不全で倒れて。
1度目、通常20の数値が500になると悪性であると言われる中、3000の数値で医者からは生きているのが不思議だと言われたらしい。
そんな状態だと聞いたのは10日。
翌日“週生”が控えていてすぐに帰ること出来なかった。
いや、『しなかった』のかもしれない。
翌週帰ろう…そう決めて。
実はその“翌週”、今日もWe∞eKの活動があってすごく迷った。
じいちゃんもばあちゃんも生きているうちにメディアに出演して、『夢、叶ったよ』って笑顔で誇らし気に伝えたかった。
知って欲しかった。
始めてCDが出来ることが決まった直後
受け入れられなんてしなかった
正直ちょっと会うのが怖かった
少しでも早く叶えられるように足を止めたくなかった
最期なんて思うことは出来なかった
実はその話を聞いたその日、友達のおじいちゃんが亡くなって、他人事ではなかった。
ニコ生が終わったあとにメンバーに打ち明けて来週行けないかもしれないと相談をしました。
帰ってきな
むしろ今すぐ帰りなよ
メンバーはそう言って受け入れてくれた。
そんな中、母親から退院の連絡。
数値の話と矛盾を感じる。
そんなに早く退院出来る状態ではないはず。
とりあえず迷ってはいたけど帰ることを決断しました。
昨日の金曜日の夜、むしろ土曜日の今日、地元に到着。
家に着いたのは1時を過ぎてました。
母親が起きてしまい、おじいちゃんどう?って聞いたら今日また入院したよって。
そういえば1週間前に来週帰るって伝えたまま時間が微妙だったから今日帰るって伝えてなかったんだっけ
頭が真っ白になった
どうしてもお見舞いがしたいとお願いして母と妹と一緒に病室に向かう
病院の前で入るのが怖くなった
病室に着く。
目が開いてるのかどうかもわからない、痩せた祖父が病室のベッドに寝ていた
母親に起きてる?って聞いてやっと起きてることがわかって声をかけた
「久しぶり!」
わかってくれたのかな
わかってくれた感じがした
あんまり話しかけられなかったけど笑顔でいようって決めてそれは崩さなかった
母親と妹の名前を呼んで
来てくれてありがとうって
たまにしか帰らないから名前は覚えてないのかもしれない
けど母親と妹の名前だけでも言えてすごく嬉しかった。
なんだか不思議と『このまま触れなかったら後悔する』って直感して、「お大事にね!また近々来るね!」ってハイタッチした
そしたらすっごく力強く握ってくれてた
もう本当泣き崩れるかと思った
母親と妹の前だから必死にこらえたけどスーパー涙目だったことは間違いない
気付かれてなければいいなと思いながら車に乗って駅まで送ってもらいました。
もうWe∞eKの活動には間に合わない時間だけどとりあえず早く向かおうと思って特急列車に乗る。
特急列車でも涙はこらえたけど、いろんなものが吹き出してやばかった
これが最期なんかじゃない
だってじいちゃんの手、すごく力強かった
まだまだ大丈夫。
絶対に。
母親には「葬式…どうする?」って聞かれたけど「何言ってんの?とりあえず何かあったらすぐ連絡して」って言って地元を出てきました。
みんなが元気なうちにメディアに出演したい
誰かの人生をも動かすようなそんな存在になりたい
そんな姿を見て欲しい
夢は必ず叶える主義です。
We∞eKのみんなと出演して、「すごいじゃんけ」って言わせてみせる。
そしたら、
この人たちすごくいい人たちでね、
この人たちと一緒に活動できてすごく楽しいんだよ
小学生の頃から言ってた夢叶ったんだよ
って返すんだ。
こんな気持ちになったの久しぶりだからこの気持ちを音にしておきたいなって感じました。
早速準備をしよう。
思い立ったが吉日。
叶わなかったって思うことがないように
全力で進んでいきたいと思います。
さぁ!メンバーに会ってくるぞーっ!
もるもつと