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このブログは演歌歌手三山ひろしさんの故郷高知県から三山さんや高知の話題をテーマに書かせていただいております。
さて一昨日(9月27日)、radikoで9月25日(水)放送のラジオ日本「えんか侍」を聴きました。
子どもの頃の駄菓子屋の思い出を三山さんが語られていて、興味深く聴かせていただきました。
「とんがりコーン」とは?
ハウス食品が製造しているこれ↓ですね。
1978(昭和53)年から発売された、とうもろこし🌽を主な原料にしたサクサクの食感と香ばしいコーン味で、食べ始めると止まらなくなるスナック菓子。
円錐形なので子どもは指にはめたくなるんですよね。
ちなみに三山さんは「ありますよね〜」とのこと。
生まれた時にはあったわけですから、おそらく幼児期から小学生の頃のことでしょうね。
そしてこのお話の中で、駄菓子屋の思い出話をされました。
子どもの頃、南国市の隣町土佐山田町(現香美市土佐山田町)にあった「ひばり堂」という駄菓子屋に自転車で通っていたとのお話。
以前、高知のローカル番組でも「ひばり堂」の名前を出されたことがあり、その時に場所は把握しておりました。
これ↓がその「ひばり堂」。
廃業されたようで雨戸が閉められています。
2〜3年前、香美市在住の、三山さんより少し年上の同僚(女性)に「「ひばり堂」って知っちゅう?」と尋ねたら、急に目を輝かせ「子どもの頃、よく行ってました。おばあちゃんが一人でやってました。もうかなり前に閉めたがやないろうか。」と教えてくれました。
やはり廃業されて久しいようです。
「ひばり堂」の名前の由来は、おそらく店主さんが美空ひばりさんのファンだったからでしょうね。あくまで想像ですが。
場所は香美市土佐山田町の商店街。南国市との境に近い西の端辺り。
↑画面奥が三山さんのご実家のある南国市方面(西)。20代の頃勤務されていたガソリンスタンドもこの方向にあります。
三山さんが誕生された1980(昭和55)年当時、この道は私の生活道でした。
今は無くなっていますが、「ひばり堂」の向かい辺りにあった酒屋さんで、生まれて初めてウイスキーを買った思い出があります。
私がこの町を離れて8〜9年後の30数年前、ここに恒石少年が自転車で通っていたと思うと感慨深いものがあります。
ラジオでは、ひばり堂での思い出として、指先から煙を出すおもちゃが面白かったこと、4個入の小さなドーナツ🍩のこと、とんがりコーンのような箱入のお菓子は高くてめったに買えなかったので「うまい棒」が安くて大きくてありがたかったこと、1個5円くらいのチョコレートを買っていたことなどを話されました。
それを聞いた連れ合いは「ドーナツ🍩はこれ↓やないろうか?」と買物ついでにスーパーの駄菓子コーナーを撮影して来ました。
↑右端の「宮田 ヤングドーナツ」がそれ。連れ合いが子どもの頃からあったそうです。
こちらは「ヤングドーナツ」を製造している宮田製菓(株)さんのサイト↓。
その左にあるのが「うまい棒」ですね。
1979(昭和54)年から発売され、最近まで1本10円だった大人気のコーンパフスナック菓子。
↓「うまい棒」販売元のサイト。バリエーションの豊富さに驚きます。
サクサク食感で美味しくボリュームもあり、子どもに人気なのがわかります。
発売は私が大人になってからなのに、食べた記憶があるのはなぜでしょう?。
たぶん息子が子どもの頃、家に持ち帰ったものをパクったんだと思います。
とんでもない親父ですね
指先から煙が出せるおもちゃは、私も誰かがやっているところを見た記憶がありますが、どんな商品かよくわかっていませんでした。
これ↓のようです。
残念ながら、メーカーさんの廃業で生産中止だそうです。
5円のチョコレートはおそらくチロルチョコ(株)が1984(昭和59)年に発売したこれ↓ではないかと思います。
20年以上世代の違う三山さんなのに、駄菓子屋の思い出は似通ったところがあり、楽しく聴かせていただきました。
私の駄菓子屋通いは1960年代半ばから1970年代初め頃。
5〜6歳の頃、初めて一人で行った駄菓子屋はタバコ屋を兼ねていて、優しい笑顔のおじいさんがキセルで煙草を吸いながら店番をしていたのを覚えています。
アルミの丸い蓋の着いたたくさんのガラス瓶に一個50銭のキャラメルや量り売りのお菓子等が売られていました。
キャラメルは50銭なので、2個以上の複数個で買うわけです。
貧しい生活の中、母親からもらった小遣いの10円玉1個を握り締めて通ったものでした。
三山さんファンの皆様はよくご存知のミレービスケットも、この頃は量り売りでした。
他に、台紙に貼り付けられた甘納豆が入った小袋を買い、中のくじに当ると甘納豆の大袋や玩具が景品としてもらえるものや、裏紙を剥がすと当りハズレのわかるくじで量が決まるカレー味のあられ等を覚えています。
夏場はアイスキャンディやラムネ、サイダーに、高知だけだと思いますが、みかん水が楽しみでした。
食べるもの以外にも、当時全盛期を迎えようとしていたプラモデルがたくさん置いてありました。欲しくても高価で、なかなか手が出ませんでした。
欲しいものがいっぱいあった駄菓子屋は子どもだった自分にとって夢のような場所であり、乏しい小遣いに現実を認識する場所でもありました。
駄菓子屋の記憶を思い出すと、ベトナム戦争が始まった冷戦時代の暗い世相や、ビートルズ初来日を契機としたグループサウンズ時代の到来を、幼い低い目線から見ていたあの頃を思い出します。
三山さんの思い出話から、自身の懐かしい時代を思い出させていただきました。
個人的な思い出話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
世界から戦争の惨禍が無くなりますように。