ご覧いただきありがとうございます。
このブログは演歌歌手三山ひろしさんの故郷高知県から三山さんや高知の話題をテーマに書かせていただいております。
さて、5月3日に15周年記念イベントが開催されたJR高知駅前「こうち旅広場」にある「とさてらす」では5月31日まで「三山ひろし15周年記念キャンペーン」として三山ひろしさんに関する展示が行われています。
イベントの日はバタバタだったので、5月22日にあらためて鑑賞させていただきました。
会場のあるJR高知駅南口↓。
イベントの日と同じくこの日も特急南風のアンパンマン列車が止まっていました。
ちなみに高知のJR、電化されておりませんので走っているのは「電車」ではなく「気動車」と言います。
なので車両の屋根に電気を受け取る「バンタグラフ」は無く、その上に電線もありません。
ディーゼルエンジンが動力なので音と匂いが若干気になりますが、軌道上はスッキリしています
2019年から投入されている新形2700系気動車↓は乗り心地が向上し、より快適になっているようです。
https://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/lp/2700/
新型車両の特急南風、岡山駅から高知駅までの所要時間は2時間30分前後。
瀬戸大橋からの眺望や吉野川大歩危峡の風景を楽しめる列車旅。皆様、ぜひ高知にお越しくださいませ。
本題に戻りまして。
こちら↓が、展示会場の「とさてらす」。
「観光案内所」の表示と「どんこ坂」のジャケット写真が目印。南口を出て右に視線を向ければすぐそこ。
↓観光キャンペーン「牧野博士の新休日」のポスター。朝ドラ「らんまん」の主人公「槙野万太郎」のモデル牧野富太郎博士。
↓その右に置いてあるこの自動販売機はDyDoさんと高知家、そして海洋堂さんがコラボしたもの。
高知ゆかりの海洋堂製フィギュアが500円で買えるガチャが付いています。
「しんじょうくん」や「くろしおくん」「カツオにゃんこ」などの他、「高知城」や「かつおのたたき」などがあり、選択は出来ませんが、この中のいずれかがカプセルに入った状態で出て来ます。
高知県内のあちこちに設置されていますので、機会がありましたらぜひ覗いてみてください。(場所によりフィギュアの種類が異る場合があると思われます。)
https://www.dydo.co.jp/jihankiconsul/casestudy/s50
またまた脱線してしまいました。それではとさてらすに入ってみましょう。
室内中央にはカウンターがあり、職員の方が観光案内を行っています。
その一角に・・
ありました!
↑衣裳が3点。向かって左は四万十川春盤ジャケットのもの。↓
右はお岩木山TYPE-Aのもの。↓
奥の着物は2018年のNHK紅白歌合戦の時のもの。
けん玉ギネス記録挑戦で前年の失敗を乗り越えてリベンジに成功した感動の場面を思い出します。↓
https://www.oricon.co.jp/news/2126798/full/
↓ショーケースの中には数々のけん玉。
そして海洋堂製三山ひろしフィギュア3点↓。
このフィギュアは南国市のふるさと納税の返礼品になっています。↓
https://www.satofull.jp/products/detail.php?product_id=1285142
こちら↓は特別バージョンに関するサイト。
https://www.city.nankoku.lg.jp/sp/life/life_dtl.php?hdnKey=7891
↓奥に進むとNHK大河ドラマ「龍馬伝」で実際に使用された生家のセットが設置されていた幕末志士社中が撤去され、展示&休憩スペースにリニューアル。
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/589729
↓展示されている三山さんの魅力を伝える写真の数々と年表。
初めて拝見するものもあり、ゆっくり鑑賞させていただきました。
展示スペースの中央は休憩スペースに。周囲を囲むパーテーションの外側はカウンターと椅子が配置されています。
同じフロアにお土産売場「とさ屋」も併設されています。
展示は5月31日で終了となります。この間に高知にお越しの方はぜひお立ち寄りくださいませ。
さて、この高知駅前「こうち旅広場」には、あまり知られていないもう一つの見所があります。
私も過去に高知新聞の記事で知ったのですが、ご紹介させていただきます。
それは夭逝した明治の歌人「石川啄木(1886〜1912)」にまつわるもの。
石川啄木と言えば、
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる」や、
「たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず」が収められた歌集「一握の砂」が著名ですね。
高知からは遥か遠い東北は岩手県出身の石川啄木にまつわる話が高知にあるとは、ちょっと信じられないお話。
既にご承知の方もおられると存じますが、実はここ高知駅前は石川啄木の父「石川一禎(いってい)(1850〜1927)」が人生を終えた場所なのです。
岩手県北岩手郡渋民村(当時)で曹洞宗の僧侶として寺の住職をしていた一禎は、明治37年に住職の座を失い、妻や啄木に先立たれてやむなく次女(啄木の姉)「とら」の夫で鉄道省職員の「山本千三郎」のもとに身を寄せました。
その後、大正14(1925)年に神戸鉄道局高知出張所長(駅長)として高知に赴任した千三郎に同行して一禎も高知に。しかしその2年後の昭和2(1927)年2月、76歳でこの世を去りました。
この経緯から高知駅前の整備事業に伴い、こうち旅広場の東の角(県道の歩道に接する位置)に一禎と啄木の歌碑が建立されました。(実際に駅長官舎があった場所はここより少し東にある「ケーズデンキ」さんの敷地内とのこと。)
歌碑には「啄木の父 石川一禎終焉の地」とのプレートが。
背面には歌碑建立の経緯を解説したプレート。↓
↑「よく怒(いか)る人にてありしわが父の 日ごろ怒らず 怒れと思ふ 啄木」
↑「さむけれど 衣かるべき方もなし かかり小舟に旅ねせし夜は 一禎」
俄か勉強の知識ですが、一禎は歌集「みだれ蘆(あし)」を遺した歌人であり、啄木はその影響を受けているようです。
啄木は、四万十市出身の思想家「幸徳秋水」が冤罪で処刑された「大逆事件(幸徳事件)」を考察し、それをきっかけに社会主義運動に傾倒したとのこと。
啄木自身にも高知への縁があったのですね。
https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2014/02/石川啄木.html
高知駅前を訪れる機会がございましたら「とさてらす」共々ぜひお立ち寄りください。
先日のオフィシャルブログで三山さんが「かわいいちや」とおっしゃっていた「くろしおくん」が、リニューアルされた「こうち旅広場」を紹介する動画がyou tubeにUPされていました。↓
https://m.youtube.com/watch?v=266OGHsMuJY&pp=ygUk44Go44GV44Gm44KJ44GZ44CA44Oq44OL44Ol44O844Ki44Or
https://m.youtube.com/watch?v=2wEX_I29-N0&pp=ygUc44Gp44KT44GT5Z2CIOS4ieWxseOBsuOCjeOBlw%3D%3D
最後までご覧いただき、ありがとうございました。