昭和の時代、一世を風靡した新御三家の一角、西城秀樹さんが旅立たれました。
脳梗塞からの再起を賭けて闘っておられましたので、突然の訃報にショック。
昭和40年代後半、「傷だらけのローラ」や「情熱の嵐」「激しい恋」などパワフルな歌唱と激しいアクションで野口五郎さん、郷ひろみさんと共に大人気歌手となられた西城秀樹さん。
昭和54(1979)年にリリースされた「YOUNG MAN(ヤングマン)」は世代を超えて大ヒット。
カレーのCMで流れた「ヒデキ、カンゲキ!」は流行語に。
「カックラキン大放送」で見せた笑いのセンスも印象に残っています。
テレビ番組で「激しい恋」を熱唱される三山ひろしさん。↓
↓西城秀樹さんの盟友野口五郎さんの様子を伝えるニュース。
中高生時代、同級生にたくさんのファンがいたのを思い出します。
私から見ればアニキ世代。
ファンはほとんどが女子でしたが、男子もその楽曲には興味がありました。
個人的には、爆発的にヒットされる前の「青春に賭けよう」という曲が好きで、中学生の頃よく口ずさんでいたことを覚えています。↓
この頃はまだ激しいアクションはなく、歌唱もおとなしめ。
訃報を伝えるNHKニュースの中でご本人が、「青春という言葉が好き。好奇心さえあれば80歳になっても90歳になっても青春(要旨)」とおっしゃっている映像が流れました。
その心にはこの曲が流れていたのではないかと想像したことでした。
あの頃から50年近い歳月が流れ、「
若い日 二度と来ない さらばといって行こう」という歌詞が実感されます。
ちなみに爆発的ヒットされたのは「青春に賭けよう」の次にリリースされた「情熱の嵐」からだったと記憶しています。
演歌歌手三山ひろしさんが、
一度はあきらめた歌手への道を再び踏み出すきっかけとなったNHKのど自慢土佐清水市大会(2004(平成16)年1月18日)のゲストも西城秀樹さんでした。(女性ゲストは長山洋子さん)
その貴重な資料がネット上に。↓
↑NHKのど自慢土佐清水大会を伝える土佐清水市HP。
1枚目の写真、西城秀樹さんが立っているステージ、左端に恒石青年(アマチュア時代の三山さん)らしき姿が見えます。
三山さんが氷川きよしさんの「白雲の城」で今週のチャンピオンになられたこの日、トロフィーを手渡されたのが西城秀樹さんでした。
応援させていただいている三山ひろしさんに少なからずご縁のあった西城秀樹さん。
改めてそのご功績に敬意を表すると共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。m(_ _)m

