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この銅像、誰だかご存知ですか???


住宅資材販売の大萬で働く営業マン Morikenのブログ


こちらの銅像は、


「稲村の火」で有名な


『浜口梧陵(儀兵衛)』


です。


稲村の火とは、


今からおよそ150年前、1854年(安政元年)12月の夕刻、紀州の広村(現在の


和歌山県有田郡広川町)は大きな地震(安政南海地震)とそれに伴う津波に


襲われました。


村は、36名の死者を出し、被害にあわなかった家は1軒もないほど、大きな


打撃を受けました。

このとき、当時35歳の浜口梧陵(本名、儀兵衛)は、暗闇の中で逃げ遅れた村人

を救うために、道筋にあたる水田の稲むら(脱穀した後の稲わらを積み重ねたもの)

に松明で火をつけ、高台にある広八幡神社の境内に導いて、村人の命を救いました。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1896年(明治29年)の三陸沖地震の津波被害の

惨状と、伝え聞いていたこの話を取材して、「生ける神」(“A Living God”)という短編

小説を書きました。

その後、地元出身の小学校教員中井常蔵により小学校国語教材「稲むらの火」(原題

は「津浪美談」)として書き改められ、1937年(昭和12年)から10年間、5年生用の小学

国語読本(教科書)に掲載されました。

その内容は、五兵衛という老人が、大きな地震の後に海水面が引くのをみて津波の

襲来を予測し、何も気づいていない村人に異変を知らせるため、稲むらに火をつけ、

高台に誘導したというものです。

国語教材「稲むらの火」は実話とは異なっているところがありますが、これを学んだ

多くの児童に強い印象と深い感銘を与えました。

しかし、浜口梧陵の偉業は津波から村人を救っただけではありませんでした。

地震と津波で倒壊した村人の家屋を再建したり、村の「百年の安堵をはかる」ため、

私財を投じて高さ約5m、長さ約600mの堤防(国指定史跡「広村堤防」)を築くという

土木工事を行って、被災した村人に仕事を与えました。

この堤防は、約80年後に発生した昭和南海地震(1946年(昭和21年))の津波から

多くの住民を守りました。


実は、こちらの話、本日の研修会で名古屋大学の教授より教えていただきました。





ではではパー