先日東京中日スポーツ紙で「中日の生い立ち」を特集していた。
学生時代野球部だった父は愛知一中(現旭ヶ丘高校)の選手だった。
1936年に設立された。
日本職業野球は東京2球団(巨人、大東京)
名古屋(名古屋軍、金鯱軍)、関西(阪示申、阪急)の6球団。
戦後名古屋は金鯱軍が残り東京にもう一球団出来て全6球団となる。
野球なんて何も判らない私を父は無理矢理球団へ連れていき
これが野球というアメリカのスポーツだと教えてくれた
5才から8才の間だったか。
父母共芝居映画が好きで歌舞伎、新派、新国劇、
日本映画、外国映画まで連れていかれた。
歌舞伎はさっぱり判らずチャンバラのある新国劇は好きだった。
しかし、1945年(終戦)野球が解禁になるともう野球一筋。
小学5年の秋から高校まで野球をやりまくった。
中学のとき体育の教師がサッカー部出身で人間の機能の中で
最も重要な腕を使えないサッカーは嫌いになった。
運動神経はまぁ良かったのでサッカーをやってもそこそこ上手かった。
後に私が
”野球は農耕民族、サッカーは狩猟民族のスポーツ”
と云ったとき、
「云い得て妙だ」
と云ってくれた人がいた。
幼少時に無理に観せられた、芝居や映画が長い潜伏期間
をおいて芽を吹く事になろうとは・・・・それが今も続いている。
この時に芝居「谷の音」という短編小説から
私が劇化演出主演の時代劇高校演劇で上映した。
高校生が時代劇をやるなんで先ずないでしょ?
森山周一郎