ヨーガは哲学。
「哲学は学問で、机の上でするもの」というイメージ。
だけどヨーガは、
体操のように体を動かしたりする。
すごくユニーク・・
でもそれは、
とても自然なことで、
ヨーガに限ったことではない。
宗教も「幸せに生きるためのもの」と考えるなら、
哲学と同じ。
お寺で修行する人は、朝早く起きて、
(昔は)井戸に水を汲みに走ったり、
雑巾掛けなど掃除をして、毎日体を思い切り動かし、それが修行の重要な1つになっている。
イスラムの礼拝も、全身を動かして行う。
ヒンズー教でも祈りの時間の時には決まった動作をする。
宗教も体を動かすことを、とても重要としています。
心の状態が結果に大きな影響を及ぼすと知っているアスリートも、
ルーティンワークで動きの中で心を整える。
心を扱うのに、体を使うことは、
誰でもわかりやすく、簡単にできることだということを、
ずっと前の時代からわかっていた。
心を、心で何とかするのはとても難しいから。
結局、このマットの上で行われていること、というのは、
心のため
以上です。
心を通して、世界を見ているなら、
心が世界(人生)を決めるなら、
マットの上で、世界(人生)は作られる、
とも言える。
ヨーガプラクティショナーが毎日欠かさず、
練習をするのは、
体を柔らかくするためでも、
筋肉をつけるためでも、
骨盤を整えるためでも、
呼吸を深くするためでも、
リラックスするためでも、
ましてや複雑なポーズを完成させるためでもなく、
「世界を作っている」ということ。
毎日、最高にクリエイティブな作業をしているのです。
それはもうワクワクするスペシャルな時間で、
1回1回真剣そのものなのです。
ですから。
3日坊主とか、
テキトーに練習とか、
「練習めんどくさい」というのは、
自分の人生なんて、
どうでもいいし、めんどくさいし、
テキトーでいいや。
と言っているのと同じなのです。
時々
「練習していませんでした。すみません」と私に謝る人がいますが、
その必要は全くありません。
謝るなら、
自分自身に謝ってください、ということです。
そしてまた明日から、大切に自分と向き合って、
望む世界を、人生を、クリエイトしていってください。
練習したあとは、
目の前に広がる世界(人生)を最高に楽しむだけ