「もうその経験を通ってきた」目線から見ると、

例えば大人になったときに。


学生が悩んだり、迷ったり、

傷ついたり、傷つけたり、

嬉しがったり、悲しがったり、

失敗したり。

「あれが欲しい!これがしたい!」とか…

そういうのを見て、


「うんうん、若いうちはいろいろ経験した方がいいよ。」とか、

「青春は謳歌しないとね~」とどこか微笑ましく、ちょっと羨ましく見てしまったりすることがあるけど。


同じように、

ヨーガのゴール、Vedaのゴールの中にいる人から見たら、

私たちのように、

「幸せになりたい」とか、

「自分らしく生きたい」とか、

「執着を取らねば!」とか、

「悟りたい!」とか、

迷ったり、悩んだり、

「ラッキー!」とか喜んだり、
「これってシンクロニシティ!?」とかワクワクしたり。

そういうのを見て、


「うんうん、思い切り物質を経験するのはいいことだよ」とか、

「人生は謳歌しないとね~」

と微笑ましく、なんかちょっと羨ましく見ているんだろう。


「サマーディ(悟りとか)なんて追わなくていいんだよ」

なんてさ。



「こうなりたい」と未来をイメージすることもいいけど、今起きてること、目に見えてることを、
もっと味わった方がいいのかも。

それが望ましいものでも、そうでなくても。。


…なんて。
ふと思ったりしました。

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ニコニコキラキラ