森田稲子のブログ -6ページ目

国有林と私(12)素顔の国有林 後編(最終回)

【素顔の国有林】を特別価格にて頒布致します。
3,150円→1,500円(在庫限り)
(詳細はコチラから)




日本の国有林というのは、不思議なところである。国有というからには、国が所有している林野であり、国民が共有している、財産である。

しかし、国民はほとんど国有林について知らない。標高が高く、森林限界に入ったりすると、ああここは国有林だろうな、と、思ったりする程度である。

国有林がどんなところで、どんな経営が行われているか、などいう事は、このブログの閲覧者の多くも知らなかったに違いない。

28年前に、国有林問題に精通しておられた、農学博士の森巌夫氏の卓越したリードによって、国有林の素顔は始めて明らかにされた。6名のトップリーダーたちによって語られた赤裸々な話は、実に衝撃的であったろう。

私は、このブログのために、10倍はあると思われる本文の中から、語り手の特徴が特に現れている箇所をピックアップして、再編集している。しかし、その内容や語り口にはほとんど手をつけていない。このブログは「素顔の国有林」の濃縮版といえるだろう。

8回にわたって続いたこのシリーズをご覧になって皆さんはどのようにお感じになっただろうか。

私は28年ぶりに、「素顔の国有林」を読み直して、国土の2割の上に展開された、壮大な無駄ずかいを感じた。

最終的には2兆円を超えた国からの借金。その腹れあがった原因となった高い利息。返済の足しにと、伐採された未だ生長途上の樹々。
賃上げや職場環境改善をテーマとした、組合員と署長との長い時間にわたる団体交渉。労働史上まれと言われた2つの組合間の激烈な抗争。
そこにはお金だけでなく、驚くべき時間や、心身のエネルギーが浪費されてきたように思われ、悔しさ、残念さ、そして悲しみが湧き上がってくる。

どうしてこういうことになってしまったのか。私は国有林は国民共通の財産でありながら、国民が不在だったからではな
かろうかと思う。

森巌夫氏の「はじめに」の表現によると、[第三者にはそこにはあたかも厚いベールがあるかのように感じられた。そして、「見えない」は、「見せない」「閉鎖性」と受け取られ、「伐採庁」、「自然破壊の元凶」といった陰口をまで生むにいたる。] 

国有林側は、どんな批判を受けようと、山男の美徳として、沈黙を守り通してきた。そして、国民は、あえて、ベールを引かなかった。
これが、国有林と国民との構図であったというのである。
残念ながら、この構図は今もあまり変わっていないように思う。

しかし、国有林は、わが社の森でも、わが家やわが仲間の林野でもない。国有林は国民みんなのものなのである。

私は、国有林は、早急にこの原点に立つべきだと思う。なぜなら、環境や資源問題が大きなテーマとなる中で、将来に向かっていまこそ、国民は、国有林を必要としているからである。

広大で有力な情報源として、開発や実践のフィールドとして、人材育成のカリキュラム編成の中で…….。

皆さんはいかがお思いだろうか。(おわり)