高倉健さんと白いソックス
2014年の12月で満90才になった。90年の間に戦争があり、1年何ヶ月かを軍隊で送った。所謂、学徒兵というやつである。この期間を含めて人間の死には数えきれないほど立ち会っている。
80才を過ぎてガンを患い、内臓の摘出手術を受けたりして、死は他人事ではなくなった。その間にも知人で年下の人たちがバタバタと亡くなっていく。なかでも最近、驚いたのは宇津井健さんと高倉健さんの訃報に接した時であった。お二人とも健さんという名(芸名)を持っていらっしゃったのは皮肉だが、お二人とも10才近く年下である。
高倉健さんとは作品でご一緒になったことはないが、お会いしたことはある。高倉さんが江利チエミさんと結婚されたばかりの頃だったと思う。その頃TBSでチエミさん主演の連ドラがあり、レギュラーだったか一回限りの出演だったか判然としないが、演出家は蟻川さんという、後に「7人の刑事」のメインDr.となった人だったことは鮮明に憶えている。
その日TBSの本読み室から出ると曲がり角のところに健さんが立っていた。チエミさんを迎えに来たんだろうと会釈すると、本読み室から出てきたんだから、チエミさんの番組に出ている役者と推察されたのか、丁寧なご挨拶を頂いた。何とも若々しい好青年だった。
以来、高倉健さんの映画は殆ど観ている。ただ番外地ものは好みではない。同様の任侠ものでは緋牡丹お龍の藤純子さんものが好きだった。
あの時ふと思った。この手のもの(任侠もの)は緋牡丹の藤さんのようないい女が絡むことで任侠の哀愁がより引き立つんだと、と。
2.26の発端となった相沢中佐を主人公にした「慟哭」や特攻隊の生き残りを演じた「ほたる」の健さんの印象が殆どないのはなぜかな、と思う。「幸せの黄色いハンカチ」そして健さんの最終作「あなたへ」は、しっかりと脳裏に焼き付いているのに。
高倉健さんの訃報が届いたのは2014年11月の半ばだった。以後、健さんの特別番組が毎日のようにTVに映った。そんな中でひときわ目を引いたのは「老人の役はやらないのですか?」というインタビュウの質問に、しかめっつら顔で首を横に振るシーンがあった。老人の役しかやっていない私は思わず笑ってしまった。そして「あなたへ」のあのシーンのあのカットを想い出した。それは健さんが亡くなった愛妻の遺骨を彼女の故郷の海へ散骨するため海の様子を見に行くシーンの一コマだった。
海を見下ろす岸壁を歩くロングショットの中で、一瞬であるが健さんの足許が映り、白いソックスが映った。「あなたへ」の健さんの役は定年を過ぎた刑務官である。当然65才~70才あたりの男であろう。衣装係の人がこの役の俳優に白いソックスを用意するとは思えない。おそらく健さんの注文か、自前のソックスではないか。
「年寄りの役は絶対にやらない」という健さんの心意気が感じられ、ことのほか思い出に残るワンカットになった、という次第です。
合掌。
特別養護老人ホーム
宇津井健さんの訃報はショックだった。
近頃、ご縁のあった人々が毎年、幾人か亡くなっていく。そしてその殆どが年下の人なので、生死の無常は十分心得ているつもりだったのに・・・。
宇津井さんとは文字通りの一期一会で、テレビ・ドラマでご一緒になり、近郊のお寺でのロケに参加した憶えがある。報道によれば、毎日腹筋運動150回という宇津井さんは典型的な健康オタクだったそうである。亡くなる一年前から肺気腫を患っておられたとのこと。どんな病気か知らないが、よほど恐ろしい病なのか?
合掌
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肺といえば今年の正月、松も取れないうちに救急搬送で入院した時の診断が肺炎であった。搬送されるまでのいきさつはよくわからない。どの時点かで気を失っていたらしい。治療はひたすら点滴だった。脱水症状もあったらしい。
1月末に退院したものの、2月の半ばにまた肺炎、今度は誤嚥性肺炎ということだった。
以前、“金八先生”という番組で桜中学の町内の老人役で出演した時、正月に餅を喉に詰まらせ掃除機を口に突っ込まれるというシーンがあった。誤嚥とはああいうものだと思っていた。しかし、よく訊くと眠っている間に呑み込んだ唾が口の中の細菌とともに気管から肺に入るという誤嚥の方が多いらしい。この齢で虫歯の治療をしている身としては文句の言いようがない。
春一番が吹いてやっと冬将軍から解放された頃、退院の許可が下りた。寝たきりではないにせよ、足掛け3ヶ月の病院暮らしで足腰の衰えは否めない。いざ、リハビリと意気込んでいたら、退院後の身の振り方が妙な展開になった。
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わけあって、退院してもすぐ自宅には戻れない。どこかでショート・ステイしてほしいとのこと。
なにしろ我が家は85才を過ぎた老人が3人いるため、日替わりで誰かがダウンしている。近頃は窮状を見かねた姪っ子たちが介護のケア・マネージャーを交えて、すべて差配してくれている。さすが高齢化社会を現役戦士として闘っている彼女たちの見識手腕は見事なもので当節は安心してお委せしている。
退院時、1週間ほどショート・ステイしてほしい、と姪っ子の一人から連絡があった。てっきりビジネス・ホテルにでも宿泊するものと思っていたら、同じ区内にある特別養護老人ホームだという。
話を聞いた時、一瞬、森繁久弥さんの「恍惚の人」に端役で出演したことを思い出した。崇敬する豊田四郎監督の作品で、その折「役者はなんでも観ること、そしてやってみることが勉強」と教わったことが脳裡に甦った。あの時の森繁さんのボケ老人役は凄かった。
・・・特別養護老人ホームとは。
・・・そこに暮らす老人とは。
オリンピック余話
ソチ五輪も無事閉幕。
ウクライナの騒動は別として世間の眼は東京五輪に向かっているようだ。私どももその成功を祈っているが、果たして生きて観られるか?
私どもの年代の人間で、それが可能なのは恐らく数えるほどしかいるまい。巨額を投じて国立競技場を新設する案で、早くも論争が起きているが、昭和39年の東京五輪の際、日本橋の真上に高速道路を架けたような不見識なことだけはやめてもらいたいもの。
昭和39年(1964年)といえばNHKで「事件記者」のレギュラーをやっている時で、偶々、本番の日に化粧室の前の廊下で、五輪優勝の女子バレーの選手たちが特別番組出演のため通りかかったのに行き合ったことがあった。彼女たちは、それまで私の人生で知っている女性とは全く違う人種だった。頭ひとつ背の高い女性たちの団体を見て時代の変貌を痛感した時であった。
「事件記者」という当時の人気番組を憶えている人も少なくなったし、第一、レギュラー出演者のほとんどがあの世に行ってしまって現在、誰が生き残っているのかな?
ソチ五輪大会の話へ戻ろう。
開幕前からマス・メディアは金メダルの数を捕らぬ狸の皮よろしく、勝手な数字をあげて煽り立てていた。気になったのは或るTV番組である。7回連続で出場するスキー・ジャンプの選手を取り上げ、彼の先輩に当たる元メダリスト」をスタジオに呼んでメッセージを求めた。
「彼は私の2ケ(3ケと言ったかも?)下ですが・・・」
40代半ばの世界的アスリートが言うのを聞いてのけぞる思いになった。先輩後輩の間柄をナンコ上とかナンコ下という若者言葉があるのはなんとなく知っていたが、まさか40を超した一流アスリートの口から出るとは思いもよらぬことであった。
そういえばどこかのTV局が開局記念番組として過去55年の中から懐かしいシーンを放映していたが、皇室関係の報道番組での局アナの言葉遣いが以前と現在では相当変わっているように思えた。日本語の乱れはこの辺りにあるのではないか。
先輩という言葉の中には、その人に対するリスペクトがある。公の場所で先輩のことを話す場合、「3ケ上の人」などというべきではないだろう。テレビ局は若者のウケを狙っているのか。編集次第でどうにでもなると思うが。美しい日本語を次世代へ残していきたいものである。