終わりと始まり
皆様、大変お久しぶりです。休眠状態(笑)にあったこのブログですが、今年最初の更新をさせてもらいます。これが今年最後にならないように・・・頑張ります。
森村次朗のほぼ年刊ブログです。
このあり得ないペースを・・・お許しください。
さて、去年の3月と6月に、私の妹二人に子供が生まれました。
二人とも女の子です。
みるみる成長していっております。赤ん坊の当り前の成長なのでしょうが、ひと月で顔からだつきが変わっていくので、びっくりします。
人間の始まりのスピードってものすごいものですね。
生まれたての時は、なんというか、人間になりきってないような、途中段階の生き物みたいにしか見えなかったのですが。
はっきり言います。
二人とも全然かわいいと思いませんでした(笑)。
やがて、目が見えるようになり、こちらに笑顔も見せてくれるようになり・・・。
今は、かわいい姪っ子たちだと思えるようになりました・・・さすがに。
私は、この子達が生まれた時に、保育器の中にいる生まれたての赤ん坊を見た時に、親父が亡くなっていく時のことを思い出しました。
なぜか、病室のベットに横たわる親父が目に浮かんできました。
私には、生まれてきた赤ん坊と、死んでいく人間が、どちらも同じようなものに見えたんだと思います。
お腹の中で大切に育てられ、大変な苦しみを経て産んでもらい、周りの皆に祝福され、歓びの真っただ中にいる赤ん坊と、家族や友人の励ましと、祈りと、あきらめのなか死んでいった親父と。
人間の聴覚は、亡くなる最後まで機能していて、また、赤ん坊の聴覚も胎内にいるときから機能しているそうですが、赤ん坊に祝福の言葉の意味がわかるはずもなく、また、親父にお別れの言葉が届いたとも思えません。
どちらも、非常に不確かな、危うい存在で、この世とつながっているのか、いないのか、はっきりしない。
私たちの勝手な思いとは裏腹に、人の始まりと最後とは、そんなものでしかないんだと思います。
人の始まりも終わりも、どちらも何もない。
意識がなくなってからの親父にはもはや、記憶が残っていることもなかったでしょう。
そう思います。
人は、何ももって生まれないし、何ももって死ねない。
最初の姪っ子が生まれて、しばらく経った時、仕事先に向かう車の中。
ふと、親父がいなくなったことを痛切に感じ、亡くなってから初めて味わう寂しさがこみ上げてきました。
「 ああ、親父、死んだんやなあ 」
親父が亡くなってから、2年が経っていましたが、やっと理解できたような気がしました。
私の中でもちゃんと、親父は死んだ。
その時私は、なぜか気持ちが楽になりました。
「 何もなしになるんや 」そう思えると楽になれました。
姪っ子たちの成長が楽しみです。
早くおしゃべりできるようになってほしいなあ。
大きくなるごとに、本をプレゼントしたいです。
好きな言葉があります。
「 教養とは思いやりのことである。 」
二人とも思いやりのある人になってほしい。
「 small good things ささやかな、よきこと 」
木々の緑は濃く、日暮れ時の田んぼに吹く風が
なんともここちいい。
なつかしいにおいがする。
西宮の市街地から車で30分ほど、六甲山を越えると
こじんまりと ですが、景色は田園風景に変わっていきます。
街中より気温は低く、山裾の風はさわやかなので、夏場などは
ここに来ると体が生き返ってくるのを感じます。
冬はちょっと寒いですが、キリッとした空気はやっぱり気持ちいいものです。
なんてことはない、ところなのですが、
私とっては 木陰 みたいな場所です。
さて、本日は妹の結婚式。
西宮の「 えべっさん 」で式を挙げ、
ここ船坂で、ささやかながらお祝いの食事会。
花婿のご家族は、福井県小浜からのお越し。
スペインからの友人はフラメンコを弾き、
アンコールには日本の尺八。
ちいさな花嫁のドレスは
友人の手作り。
震災から16年。
かの地からは遠く離れた、
ここ西宮の
ちいさなちいさな片隅で、
ふたりはよき日を迎えました。
今日、この日に、この場所で
いかほどの熱量が必要であったか?
都市の生活から離れることはできないことを棚に上げ、
つい、そんなことを考えました。
もっと、もっと、
シンプルであればよいのでしょうが、
そんなところに到底帰ることはできないほどに
ややこしくなりすぎました。
ただ、私たちは、これだけの発展の中にあって、
これが未来永劫続けられるわけではない、
いつかそれが、破綻してしまうのではないか?
そのような予感は、ずっと以前から持っていたのでは
ないでしょうか?
いつのことかわからないゆえに、
とりあえず忘れてしまえるのですが・・・。
ひとつの綻びを見た気がします。
会場にさせていただいたレストランの
ご主人はこんな言葉を送ってくださいました。
今日の食事がおいしいと感じていただけのなら、
それは、ここにある、この自然のおかげです。
わたしたちが今あるのはすべて、自然のおかげです。
今日、このふたりが結ばれたのも、自然なことなのです。
喜びもあれば、悲しみもあります。
時には、悲しみがはるかに大きなことも。
それでも、やはり、
まちがいなく、
ささやかではあっても、大切なものにかこまれている。
そんなことを、あらためて教えてもらえた一日でした。
功くん、愛ちゃん、おめでとう。