戦争資料館・名古屋城はなぜどのようにして焼けたのか | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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闘病中、18才、16才の母娘猫と暮らし美術や動物、演劇、旅、ガーデンが好きです

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追記記

ピースあいちは竹内浩三や戦争加害の歴史も伝えます。

 

骨のうたう

竹内浩三  作
中井利亮 補作

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひよんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

 

 

 

 

ここは被害の歴史ばかりはてなマーク

メモパットもらいました。上右

モノクロのお城写真かっこいい。

最後の名古屋城主も、最後の将軍も写真マニア

 

 

現存していたら国宝。

 

1945年 (昭和20)5月14日の朝、空襲警報が鳴り響き、アメリカ軍の爆撃機B29が名古屋市北部に無数の焼夷弾を投下。 1時間以上におよぶ爆撃で名古屋は火の海になりました。 名古屋城では、天守、本丸御殿などを主要な建造物が焼失。 金鯱を避難させるために組まれていた足場に焼夷弾が引っかかり、そこから上がった火炎が城全体を火だるま状態にしたとされます。

現代 | 名古屋城の歴史 | 名古屋城について | 名古屋城公式 ...

www.nagoyajo.city.nagoya.jp/learn/history/gendai/

www.nagoyajo.city.nagoya.jp/learn/history/gendai/

 

 

 

愛知県庁大津橋分室(あいちけんちょうおおつばしぶんしつ)は、愛知県名古屋市中区丸の内三丁目にある愛知県庁の分室である。お隣も重厚な建築です。

概要[編集]

1933年昭和8年)[2][3][注釈 1]に愛知信用組合連合会の建物として竣工。戦後は農林会館として使用されたのち、1957年(昭和32年)に愛知県に寄贈されたものである[2]。その後長い間、愛知県史編纂室として使用されていた。

2015年平成27年)7月10日、建物の1階に愛知県と名古屋市が共同で設立した愛知・名古屋 戦争に関する資料館が開館[3]

同年8月7日、2階と3階にあいちトリエンナーレ現代アートに関する情報を発信する「アートラボあいち大津橋」がオープンした[5][6]

2017年(平成29年)5月20日、「アートラボあいち大津橋」は「アートラボあいち長者町」と統合し、「アートラボあいち」に改称した[7]。運営はあいちトリエンナーレ実行委員会が行う[8]

建物は、鉄筋コンクリート造の地下1階、地上3階建てで、ゴシック風付柱が3本伸びる塔状の階段室表現主義的なバルコニーの装飾や丸窓が特徴となっている[1][2]

また、建物周辺には歴史的建造物が多く所在することから「文化のみち」と呼ばれており、この建物も含め散策スポットになっている[9]。戦争に関する資料館