憧れのナンシー派美術館 | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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ナンシー派美術館 入り口,内部は撮影禁止。二階の窓から庭の撮影も×でした。
ガレのパトロンだったコルバンの邸宅が美術館になっているので、今もそこに住んで生活しているような雰囲気です。
花瓶などがガラスケースに収まってるのと違い、すべてがアールヌーヴォの世界!。
この建物の脇から奥までお庭があるので見逃せません。

ブラッスリー・エクセルシオールで朝食後、有名なスタニスラ門を目指しました。

でも門は工事中、ナンシー派美術館への表示が誘うので歩いて、行きました。
地球の歩き方に地図が載っています。でも実際にはこれでいいのかなとおどおどしながら(苦笑)

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ナンシーにはナンシー派美術館と(月・火休み)とナンシー美術館と(火休み)があり、駅を挟んで反対側なので間違えないようにということです。
ナンシー派美術館はミュゼ・ド・エコール・ド・ナンシーなので日本人以外は間違えようもないのでしょう。


本当は土日に行ってこの美術館でマジョレル(ブラッスリー・エクセルシオールの内装を手掛けた)の家のガイドツアー予約すべきなのですが、土日はフジタのアトリエが予約なしで無料公開だったので。


パリ東駅からTGVで一時間半、昔買った「パリアンティーク物語」96年発行には急行で3時間とあります!

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もうドイツに近い所でドイツの古城巡りの時に行けばよかったと思ったぐらい、今回の目的の一つです。ナンシーはアルザス・ロレーヌ地方の入り口。

最後の授業アルザスの生徒達は(ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため、)国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態であったのである。アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場にあったものであり、本小説においてはこの点が隠蔽されていることとなる。

日本ではこの小説は1927年に教科書の教材として採用された。
戦後の一時期、『最後の授業』は教科書から消えたが、1952年(昭和27 年)に再登場した。しかし、田中克彦の『ことばと国家』や蓮實重彦の『反=日本語論』などによる、「国語」イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品であるとの批判もあった。1985年(昭和60 年)からは教科書に採用されていない。

まあ、そんなことだったのですね。実はこの作品はフランス側からのプロパガンダ作品であったことが1980年代に喝破され、教科書から消えた!

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ナンシー派というのは、この街出身の エミール・ガレ が中心となって19世紀末に結成された当時は新しい芸術運動のグループ。

一時廃れてガレのガラスでさえほうり投げるように骨董商に売った人もいるそうです。

ガレはジャポニズムの影響うけているせいか日本人にはファンが多く、アンティークドールのように値段が上がったそうです。デパートなどは特に高くて、びっくり。

ガレのガラスは昆虫などがはりついてるのもあり苦手な方もいらしゃるでしょう。

由水常雄「エミール・ガレ」にも若い頃のガレは、ネオ・ロココ様式、デルフト風など凡庸な作品を作っていた普通の職人だったと。

それが高島北海との出会いもあり、大変な努力重ねて天才と呼ばれるまでに。

アンティークにはまったころ、うちから遠くないところにティファニー美術館がありそこにガレの陶器の黄色い猫もいました。

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撮影禁止なので画像悪いですが「パリアンティーク物語」からです。

自分で勝手に脱線ばかりで疲れてしまいました。この美術館の庭の写真など次回に。