あんな言い方をされ、あんな暴言を吐かれても
私はまだ元旦那が好きだったし、家族が一番だった。
この家族で一生を共にし、子供たちが元気に日々を過ごし、
それを共有しあう「同志」であり「戦友」「ベストパートナー」
そんなふうに旦那を思っていたし、そう思われていると思っていた。
お花畑真っただ中で、彼女との未来を夢のような世界だと思い込み、
家族を「排除」したいと思っていた旦那。
私がもがけばもがくほど、遠のいていく一方だった。帰ってきても
ほとんど話すこともなく、出された食事をただ食べ、寝るだけの人になっていた。
週に3~4日は夜中に酔っぱらって帰ってくる、土日はいないことが増えた。
どんなに懇願しても「お前とはもう無理」な彼を追う私は、食事も仕事もできなくなっていった。
体重が落ち、何もする気になれない。
ある日の夜中、大量のアルコールと家にある様々な薬を大量摂取し、私は未遂を犯した。もう、どうなってもいい、死んだほうがいい、私なんていないほうがと。
旦那は女と楽しくイチャコラしていた。←後で聞いたが、子供たちが連絡しても
電源を落としていたようだ。
子供と近所のママ友が駆けつけてくれ、救急車で運ばれ、胃洗浄をしてもらった。
気づいたときには病院にいて、その後、意識がおぼろげなまま自宅に子供たちと
帰ってきた。そのあたりの記憶がない。
そばには酔っぱらって慌てて帰ってきた元旦那が一応は心配そうにいたらしい。
子どもたちが激怒していた。
そりゃそうだ、母親がなんてこと(今になって思う)をしているんだ。
この子たちには私しかいないのに。私は生きるしかない。
そのころの旦那と女のラインは「今嫁に死なれたら、さすがにまずいよな」「子供のこともあるし、待っててな」という悪魔のような言葉が並び、彼女も「そうね、今はおとなしくしときましょ、お互いを信じようよ、私は待ってる💛」
というやり取りが並んでいた。←今考えてもアラフィフの子持ちが考える言葉とは思えないぐらい反吐が出る。
完全に心身ともに壊れた私は仕事を辞めることになり、精神科に通う日々となった。
そして、本格的に「離婚協議」に入っていく。
絶対に絶対に、子供たちを守ってやる。私たちの生活は守る。
戦う決心をした。