仕事を辞めることになった私。

でも、離婚するとしても何かしら仕事をしないことには

子供3人を養うことはできない。

 

弱った体を引きずりながら、職安へ行く日々。

その中で、相談員の人が「それなら、仕事の幅を広げるために職業訓練校に通ったら?受給待期期間もなくなるし、3か月ぐらいだし体を元に戻すためにもしっかり

勉強するのもいいと思うよ」と言ってくれた。

 

その前の仕事は土日関係なく、下手すりゃ夜中になる仕事。

両親のどちらかが夜家にいればと、その仕事をしていたのだが、離婚となると

できるだけ定時の仕事がいい。

当時はまだ小学生の子供がいたので、そのあたりはどうしても譲れなくなった。

 

資格を取って、新しく仕事を探して、元旦那に養育費を払ってもらえるなら

頑張っていけるかもしれない。

上の子供たちは、成人して仕事につくだろう。一番下の子だけ、何とか高校卒まで

やっていければ生活できる。

 

そこから手続きをし、職業訓練校の試験を受け、医療事務の学校に3か月通った。

学校自体はとても勉強になり、楽しく、それなりに話す友人もできた。

就職のあっせんや面接練習もしてくれ、私は3か月後に就職先を決めることができた。今まで全く意識のなかった「医療の世界」への就職。

コロナ禍になり、いろんな視点で医療を見ていくことになるが、そこにどっぷり

自分がはまっていくことになるとは思っていなかったが。

意外と合うんだな、というのが、今現在での心情だ。

 

訓練校に通っている間、それと並行して持ち家の売却、車の売却、離婚に向けての協議書作成に入った。

「離婚協議」これが相当大変だった。

もちろん、お金がらみもあり、親権のこともあり。

「お花畑」な元旦那はとても軽く、私と別れられる、家を売ることでまとまった

お金も入るし、女との新しい生活にウキウキ状態で臨めるとおもっていたのだろう。

女も「高給取りな彼と一緒になったら将来安泰」と思っていたのだろう。

 

そんなやすやすと、相手の思うような「協議書」になるはずがない。

私は弁護士と何度も話し合い、相談した。

元旦那は女と相変わらずイチャイチャし放題。「離婚するまで会わない」

という合意書を無視し、二人であれこれ画策していたようだが。

私は絶対に曲げない意思を持ち、足場を固めて挑むことにした。