今日は銀行へ行くため、いつもはコピーを持ち歩き、大切に保管している公用旅券を隠し場所から出した。
これを手にすると、何とも言えない気持ちになる。
このパスポートは、間違いなくわたしの名を記し、協力隊隊員であることを何よりも証明するものである。
これを見ると、「守られている」という安心感と同時に「おまえは、このパスポートを持つに値する人間なのか」と存在意義を問われる気がする。
着任後8か月が経った現在も、わたしの物ではない気がしてしまうのだ。
関連して、思い当たることがあった。
現在のところ、日本に帰りたいと思っていない。
帰るという話を聞くと、うらやましいという気持ちはあっても、実際に帰りたいとは全く思わない。
それについて、すごいとか、ポジティブだとか言われたこともある。
自分でも、帰りたいと思わないことは、なんとなく、良いことのような気がしていた。
それだけここが住みやすく、仕事や生活に適応できているような気がするからだ。
しかし、今日、自分の中のありえない感情に気付いてしまったのだ。
わたしは帰ろうと思っていないのではなく、帰るのが怖いと思っていたのだ。
原因は、8か月経った今も、自分は日本を出国した時と、何ら変わらず成長していないと感じていること。
出国前は、非現実的にあれもできるようになる、これもできるようになると安易に考えていた。
しかし、現実はどうだ。何ができるようになった、何か変わったのか。
日本へ帰って、成長していない自分を見せるのが怖いのだ。
周りの人たちがちょっとでもわたしの成長を期待してくれているとしたら、その期待を裏切るのが怖いのだ。
一度そう考え始めると、自分でも手に取るように、自信を喪失していくのが分かる。
負の思考で、気持ちがどこまでも沈んでいく。
うなると、もう自室から一歩も外に出たくなくなってしまう。
慣れてきたとはいえ、外ではある程度、気を張る必要があるからだ。
このままではいけないと思い、シャワーを浴び、気持ちを切り替えることにした。
そして、ふと思い浮かんだ言葉が「水は低きに流れる。人の心もまた低きに流れる」だ。
今、わたしの思考は、水が低い方へと流れるように、自然の摂理の如くあたりまえに負の方向へと下降している。このまま、あがくことなく、負の方向へと流れていくならば、今後の成長は期待できないだろうと思えた。
いつ、誰から聞いた言葉なのか思い出せなかったが、妙に納得し、あまのじゃくなわたしは、ならば流れに逆らえばいいと気持ちが切り替わった。単純な脳みその作りで、良かった。気は持ちようとはよくいったもので、言葉ひとつ、思想ひとつで立ち直ることができた。
そして、そのふと思い浮かんだ言葉は誰のものだったのか、気になって調べると、攻殻機動隊2ndGIGに登場する革命家クゼの言葉だった。
今回のことでは、自分のメンタルの弱さを痛感した。
でも、いつだって、誰かの言葉や、思想によって救われているんだと実感した。

そして、もうひとつ、ある本の存在を思い出した。
村上龍著『盾・シールド』である。
この本の中で語られているのは、人にはやわらかいコアの部分があって、それを守る盾・シールドが必要なのだということ。そのシールドは、年齢や人によっても異なり、例えば、大きな会社に勤めているとか、力のある人とのコネクションだとか、仕事に対するやりがいだとか、様々で、自分のコアを守るため、自己の精神を保つためのものなのだ。
わたしはこの本に出会って以来、節目、節目に「今の自分にとってシールドはなんだろう」と考える。
のわたしにとって、自分の弱い精神を保つためのシールドは誰かの言葉、思想なのだと思う。
いずれは、「誰かの」ではなく、自分のスキルや思考が自分のシールドであると言えるぐらいに強くなりたいと思う。
胸を張って帰国できるように、今は、言葉や思想で自分を律して、この緑の手帳に見合うだけの人間になるべく、あがいていくしかない。規則正しく、5時半に目が覚めたと思ったら、そんなことをうじうじと考えていて、結局正午を回ってしまった。
しかし、これで力強く玄関の扉を開けて、銀行へ向かえそうだ。
銀行に行くだけでまさかこんな壮大なスケールの自己嫌悪に襲われるとは思わなかった。
本当に、とうふメンタルも大概にしたい。