こんばんは
今日は活動とあまり関係ないことについて。
高2が勉強している『日語1』の教科書の内容に「わたしたちの夢」という項目があった。
授業で習った表現や文型を使う為にもと思い、高2ではめずらしく、軽い作文の授業を行った。
最終的に200字~250字程度で、将来の夢について書いてもらうという内容だ。
作文の中では皆、思い思いの夢を語っている。ゲームを作りたいとか、アニメーターとか、大学教授、外交官、マジシャン。。。本当に様々である。
その授業の中で、生徒たちから「先生の夢はなんですか?」という質問を受けた。
正直、この質問には戸惑った。とっさに答えられなかったのだ。
生徒たちが気を利かせて「小さい頃!!」と言ってくれたので、なんとか答えられたが、
その後から、今のわたしの夢ってなんだろうなと考えている。
生徒たちからは本当に学ぶばかりである。
前置きが長くなったが、今日は、「夢」について少し考えていこうと思う。
今までの自分を振り返り、これからの自分を考える機会にしたい。
まず、この場合の「夢」というのは「将来なりたいもの」だ。
日本語教師になった今、これからわたしはどうなりたいのか。
どこへ向かうのか。
小さい頃なりたかったもの。
というか、近年までなりたいと思っていた職業がある。
ツアーコンダクター(添乗員)である。
特に海外旅行の添乗員に憧れていた。
大学を選んだのも、観光が学べるという理由からだ。
今思えば、なんとなく仕事で海外に行くという感じが格好いいと思っていたのだろう。
大学に入って、どういうわけか、日本語教育の方がおもしろくなってしまい、(こんな言い方したら日本語に失礼だが。)
2年次から、本格的に日本語教育専攻で、勉強を始めて、現在に至る。
目指す職業が変わっても、「夢」といっていいか分からないが、
この間も、一貫して海外への憧れがあったと言えるだろう。
大学2年次から日本語教育一筋で来たような結果となったが、
正確に言えば、大学卒業時に、一般企業に就職するか、日本語教師を目指すかという大きな分岐点があったことはあった。
しかし、大きな決断を自ら下す事無く運で来たかなという感じはある。
当時、いわゆる「就活」には疑問を抱いていた。
大学に入学した時から、就職について意識し、3年次の秋から就職活動を始める。
入学当初は、教養科目が多く、ようやく3年次になって専門科目が始まる。
そして、少し勉強したらもう、就活である。
本来の大学の役割は、学びを深める場所ではなかっただろうか。
じゃあいつ勉強するのか。大学は就職するための就職予備校なのか。
そんなことを考えていた。
とはいっても、自分も卒業後の進路を決めなければならない。
社会に出て何ができるのだろうか。
何もはじめないまま、4年になり、卒論に没頭した。
ただ、なんの根拠もなく、自分の就活している姿、皆と同じリクルートスーツを着て、就活メイクをして、何十社も会社を受けて…という姿が想像できなかったのだ。
もちろん皆努力して、悩んで、戦って就職していったと思う。
それを否定するつもりは毛頭ない。
わたしの考えは甘いのかもしれない。自分でも分かっている。
しかし、当時はそう思っていたのだ。
将来に対する逃げか保留だったのかもしれない。
結局、私は協力隊しか受けなかった。(他に書類は一通だけ出したが)
面接でも他には受けていないのか?と驚かれた。
本当に無茶だったと思う。
今こうして、配属先で働いているのが奇跡に思える。
こんなわたしを拾ってくれたJICAには本当に感謝している。
今の仕事はやりがいもあるし、恵まれた環境だ。誇りもある。
だけど問題は、これで夢が叶ったことになるのかということ。
「夢」をテーマにした作品『バクマン。』の中でも「夢は叶えるたび壊れていく」というメッセージがあった。
「夢」は目標と言い換えてもいいかもしれない。
今目の前にあるハードルを越えたら、もっと高いハードルが出現するというようなイメージで。
もうひとつ、わたしが尊敬しているスパイク・スピーゲルの言葉を引用しよう。
「夢を見ないというやつは覚えていないだけ。夢がないというやつも気付いていないだけ。臆病なのさ。見たいくせに見ないようにしているだけなんだ。」とある。
確かにそうかもしれない。なんとなくこうなったらいいなというビジョンはあるが、それを「私の夢は~」と口にした途端、それを実現させるために努力をしなければならない気がする。
そうなったら、今度は目標であったはずの「夢」がプレッシャーや足かせとなる。
それを理解していて、気付いていても、気付かないふりをしてしまっているのかもしれない。
こんなことを考えている昨今だが、一向にはっきりとしたビジョンは出現しない。
帰国後、何をしているだろうか。
まだ、日本語教師の仕事を続けていられるだろうか。
全く想像ができない。
「夢」について考えようと思い立ったものの、結局答えは導き出せなかった。
最後に、ゲーテの言葉をかりて、今日は考えるのをやめようと思う。
「考えていることを考え抜くことができないときのみ、人は本当に考えているのだ。」
この件は、ひとまず保留。
長々とわたし以外の人が読んでもあまり意味のない内容を書いてしまったと改めて反省している。しかし、自分の考えをまとめるという上で、文章を書くというのは本当に良い方法だ。
思考するために言語は必要であるということを身を持って体験した次第である。
完全な自己満足に、ここまでお付き合いいただいた方がいたら、御礼申し上げたい。
ではまた。
今日は活動とあまり関係ないことについて。
高2が勉強している『日語1』の教科書の内容に「わたしたちの夢」という項目があった。
授業で習った表現や文型を使う為にもと思い、高2ではめずらしく、軽い作文の授業を行った。
最終的に200字~250字程度で、将来の夢について書いてもらうという内容だ。
作文の中では皆、思い思いの夢を語っている。ゲームを作りたいとか、アニメーターとか、大学教授、外交官、マジシャン。。。本当に様々である。
その授業の中で、生徒たちから「先生の夢はなんですか?」という質問を受けた。
正直、この質問には戸惑った。とっさに答えられなかったのだ。
生徒たちが気を利かせて「小さい頃!!」と言ってくれたので、なんとか答えられたが、
その後から、今のわたしの夢ってなんだろうなと考えている。
生徒たちからは本当に学ぶばかりである。
前置きが長くなったが、今日は、「夢」について少し考えていこうと思う。
今までの自分を振り返り、これからの自分を考える機会にしたい。
まず、この場合の「夢」というのは「将来なりたいもの」だ。
日本語教師になった今、これからわたしはどうなりたいのか。
どこへ向かうのか。
小さい頃なりたかったもの。
というか、近年までなりたいと思っていた職業がある。
ツアーコンダクター(添乗員)である。
特に海外旅行の添乗員に憧れていた。
大学を選んだのも、観光が学べるという理由からだ。
今思えば、なんとなく仕事で海外に行くという感じが格好いいと思っていたのだろう。
大学に入って、どういうわけか、日本語教育の方がおもしろくなってしまい、(こんな言い方したら日本語に失礼だが。)
2年次から、本格的に日本語教育専攻で、勉強を始めて、現在に至る。
目指す職業が変わっても、「夢」といっていいか分からないが、
この間も、一貫して海外への憧れがあったと言えるだろう。
大学2年次から日本語教育一筋で来たような結果となったが、
正確に言えば、大学卒業時に、一般企業に就職するか、日本語教師を目指すかという大きな分岐点があったことはあった。
しかし、大きな決断を自ら下す事無く運で来たかなという感じはある。
当時、いわゆる「就活」には疑問を抱いていた。
大学に入学した時から、就職について意識し、3年次の秋から就職活動を始める。
入学当初は、教養科目が多く、ようやく3年次になって専門科目が始まる。
そして、少し勉強したらもう、就活である。
本来の大学の役割は、学びを深める場所ではなかっただろうか。
じゃあいつ勉強するのか。大学は就職するための就職予備校なのか。
そんなことを考えていた。
とはいっても、自分も卒業後の進路を決めなければならない。
社会に出て何ができるのだろうか。
何もはじめないまま、4年になり、卒論に没頭した。
ただ、なんの根拠もなく、自分の就活している姿、皆と同じリクルートスーツを着て、就活メイクをして、何十社も会社を受けて…という姿が想像できなかったのだ。
もちろん皆努力して、悩んで、戦って就職していったと思う。
それを否定するつもりは毛頭ない。
わたしの考えは甘いのかもしれない。自分でも分かっている。
しかし、当時はそう思っていたのだ。
将来に対する逃げか保留だったのかもしれない。
結局、私は協力隊しか受けなかった。(他に書類は一通だけ出したが)
面接でも他には受けていないのか?と驚かれた。
本当に無茶だったと思う。
今こうして、配属先で働いているのが奇跡に思える。
こんなわたしを拾ってくれたJICAには本当に感謝している。
今の仕事はやりがいもあるし、恵まれた環境だ。誇りもある。
だけど問題は、これで夢が叶ったことになるのかということ。
「夢」をテーマにした作品『バクマン。』の中でも「夢は叶えるたび壊れていく」というメッセージがあった。
「夢」は目標と言い換えてもいいかもしれない。
今目の前にあるハードルを越えたら、もっと高いハードルが出現するというようなイメージで。
もうひとつ、わたしが尊敬しているスパイク・スピーゲルの言葉を引用しよう。
「夢を見ないというやつは覚えていないだけ。夢がないというやつも気付いていないだけ。臆病なのさ。見たいくせに見ないようにしているだけなんだ。」とある。
確かにそうかもしれない。なんとなくこうなったらいいなというビジョンはあるが、それを「私の夢は~」と口にした途端、それを実現させるために努力をしなければならない気がする。
そうなったら、今度は目標であったはずの「夢」がプレッシャーや足かせとなる。
それを理解していて、気付いていても、気付かないふりをしてしまっているのかもしれない。
こんなことを考えている昨今だが、一向にはっきりとしたビジョンは出現しない。
帰国後、何をしているだろうか。
まだ、日本語教師の仕事を続けていられるだろうか。
全く想像ができない。
「夢」について考えようと思い立ったものの、結局答えは導き出せなかった。
最後に、ゲーテの言葉をかりて、今日は考えるのをやめようと思う。
「考えていることを考え抜くことができないときのみ、人は本当に考えているのだ。」
この件は、ひとまず保留。
長々とわたし以外の人が読んでもあまり意味のない内容を書いてしまったと改めて反省している。しかし、自分の考えをまとめるという上で、文章を書くというのは本当に良い方法だ。
思考するために言語は必要であるということを身を持って体験した次第である。
完全な自己満足に、ここまでお付き合いいただいた方がいたら、御礼申し上げたい。
ではまた。