野付半島〜開陽台 | 森のウラガワ

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羅臼(らうす)を後にして次の場所へ車DASH!

写真でわかるかなー?
道の両端が海なんですニヤニヤ

なぜなら、野付半島(のつけはんとう)
という細くて小さい半島を走ってるから。

ひたすら一本の道を進むのみニヤニヤ

どんなところを走っているのか、
ちょうど良い地図があるので下に載せます。

「現在地」という所へ行くために
この細〜い一本道を走ってます
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ちょっと離れてみると、
本当に小さな半島なんですニヤニヤ
上にある知床半島が大きいので
知らない人が多いかも。

野付半島の先、地図で言うと
右側に見える島が国後島

北海道の地名は読み方が難しい時があるので
書いておきます。

くなしりとうと読みます。
こんなに近いのに…
どう見てもここは北海道の島なのに…
今はロシア領なんです。

そう考えると、ロシア近過ぎ。

北方領土の事は、なぜか日本国民でも
道民以外は知らない人が意外と多い
みたいです。

この地図を見て、どう感じるかは
人それぞれだと思います。

私にとっては色々な意味で驚異です。
ロシアが直ぐそこまで迫ってきている!
日本に入り込んでいる!
という風にも見えるから。


北方領土の事を考えると必ず思い出す
エピソードがあります。

高校時代に教科担任していただいた
数学の先生が、国後島の出身者でした。
確か10歳くらい?まで
島で暮らしていましたが、
ある日、当時のソビエト軍が入り込み、
島を支配してしまいました。

「ソビエトだ!ソビエトが来たぞ!!」
「早く逃げろ!」と叫び、
島民は急いで漁で使う船に飛び乗り、
散り散りに逃げたそうです。

先生は家族と一緒に着の身着のままで
根室方面へ逃げたそうですが、
それ以来もう、国後島に帰ることは
できなくなってしまいました。

その日を境に、島での生活は無くなり
ご近所さんやお友達、
顔馴染みの島民とも会えなくなりました。

戦争の解釈は色々あると思いますが、
侵略によってそこにあった生活が
奪われてしまうということは、
どこの国や地域であっても悲しい事です。 

そして、現実的に考えてみて…
非常に残念ではありますが、
自分が生きているうちに、この北方四島が
日本に帰ってくるとは思えません。


先生は生徒たちに重々しく語っては
いませんでしたが、
この話はなぜか今も忘れられません。



知らなかった人がいるかもしれないので
念のため書いておきます。

国後島
くなしりとう

択捉島
えとろふとう

色丹島
しこたんとう

歯舞群島
はぼまいぐんとう

これらの島は日本の島です。

尖閣諸島や竹島も大切な日本の島々ですが
北方領土である上記の島々も、
つい七十数年前まで日本人が当たり前に
暮らしてきた島々です。

私が先生からお話を聞いたのは
今から20年くらい前ですから、当時は
つい50年前まで日本人が当たり前に
暮らしていたということになります。

時が経つと当事者だった人達は減り
私を含め戦争を知らない世代が増えるので、
それが良い時もあるけれど、
大切な教えとなる事まで薄れていくのは
嫌だなと思い、
ちょっと書かせていただきました。



北方領土について知るきっかけになれば
と思いますのでリンク貼っておきます。

この地図を見ると本当に
複雑な気持ちになります真顔

思う事は色々あるけど、
書き出すとキリがなくなってしまうので
そろそろこの辺でやめておきます。


ちょっと重たい話になってしまいましたね。

話題を変えまして…
ここ、野付半島は魚介も美味しいんです^ ^


小さな半島で、行くのは大変だけど、
食べて野付半島を知っていただけたら
良いかとも思いますニヤニヤキラキラ

北菓楼の北海道開拓おかき
野付北海シマエビ味
大変美味しゅうございますグッ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
食べたくなった?
美味しいですよ〜ちゅーちゅーちゅー



さて、こちらの資料館を出て、
車へ戻ろうとしたら…



駐車場にキタキツネさんが居ましたデレデレ


ここに住んでるのかな?
よく出現するみたいです。


地図と同じ形の干潟


ささ、ネイチャーセンターで買った
別海町産の牛乳とコーヒー牛乳を
飲みながらレッツらGo車DASH!


車はまた次なる山の方へ向かい…


開陽台という展望台へ。

標高で言うと、札幌の円山より
少し高いくらいです。
周りに何もないので見晴らしは最高ニヤニヤ






一通り見たらさっさと車に戻るニヤニヤ

ハイ、次行こう!車DASH!