隣町の縄文時代遺跡の説明会。 | S30Zリビルターのブログ

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日曜日、新聞を見たら面白い記事を見つけました。

 

かすみがうら市隣の石岡市の東田中遺跡。

この遺跡はかすみがうら市寄りのところにあります。

 

 

ここの遺跡は、国道6号線のバイパス工事で発見されました。発見された場所は遺跡が集中するような地形のところに有ります。

日当たりが良く、なだらかな傾斜の地形。南側には湖(霞ヶ浦)、後ろは自然豊かな森。自然災害を受けにくい高台であること。

 

丁度、東田中地区の地形・自然環境は、そのような地形になっていました。

 

説明会で、この周辺の調査は5年前に開始されており、出土品を納めたプラスチックコンテナの数は実に1000ケースを超えています。

茨城県でも、この出土状況はかなり多めな状況です。

 

参考出土品の展示の様子です。

 

大きな土器(写真左側)の時代は、今から4500年前の縄文時代中期製作。土器上部が丸みを帯びた中央展示の土器は縄文時代後期製作。

写真右端のコンパクトな土器は縄文時代晩期製作との事です。

写真奥のところは現在も調査中。

大昔の地表は、現在の地表から下に1.6から2.0メートル下に有るそうです。

畑の作業で、少し土器のかけらが発見されますが、それらは比較的時代が新しい(とは言えど、時代は弥生時代、古墳時代、平安時代になります。)

時代のものが出てくるようです。(地表から約60㎝くらいの深さあたり。)

 

当時の生活を知る事が出来る、貝塚も同時に発見されています。

その貝塚からは、

当時の方が食べていた魚介類。

 

 

翡翠製の飾り。当時の人も今と変わらずお洒落です!

この翡翠は、東田中地区からかなり離れた新潟の糸魚川のものだそうです。遠方からの交易が有った証拠の品です。

 

 

お祭りで使用した石棒、余った粘土で作ったであろう小型の土器。

 

 

高価な翡翠の代わりに作った土製品。勾玉のレプリカですね。

 

 

海での漁で使った投網の錘。壊れた土器を再利用したり、石で作ったり。

右端の石は、硬いドングリやクルミを割るときに使用した叩き石。

 

 

個性豊かな装飾を施した数々の縄文土器。

今の人では思いつかない不思議な模様が楽しめます。

これでも十分立派な芸術品と言えるでしょう!☆

 

数限られた道具で、当時の人はたくましく生きていたことを教えてくれます。

 

残りは携帯での撮影で失礼いたします。この写真は説明会時に撮影したものです。まだ計測など、データーを残すために一時的に残している状況です。沢山の土器、石器が散乱していました。

この場所は貝塚のあるあたりの様子です。

 

 

この写真中央に、新しい国道6号バイパスが建設されます。この姿は今だけしか見れません。埋戻しが待っています。

 

説明時にも、係員の方たちはせっせと出土品を収容していました。幾つもいろんなものだ出てくるから、とにかく忙しそうでした。

 

記念館や博物館でも土器は見れます。が、現地で説明を受け、その場で出土したばかりの土器を見れる機会はなかなかありません。

実を言うと、今回が初の遺跡説明会参加だったのです。いつかは行こうと前から考えてました。もし、また説明会が開催されたら、また行こうと思います。テキストでは書かれていないことなどを見て聞く良い機会です。

 

発掘現場で、深く掘られた地面に思わず触れました。感慨深いです・・・。住み慣れた地元の、遥か昔の4500年前の地面に触れているのですから。☆