8月が終わると同時に 秋がきた
突然季節が変わった
ここ数日朝晩少し寒いくらい
最近は途中のステップがなく
物事が突然変わる出来事が多いような氣がする
もう10年くらい前になる
あるイベントで『懐かしい未来』というドキュメンタリー映画を観た
ヒマラヤにある辺境の地 ‘ラダック地方’ の経済的発展を追った映画
タイトルにもなっている「懐かしい未来」は相反する言葉
でも当時この言葉に強く惹かれた
映画の内容は伝統的な社会で平和に生きていた人々が
「近代化」の波にのまれていく様子をつづったもの
本当の幸せって なんだろう
本当の豊かさって なんだろ
あの時からずっと心の隅で思っていた
最近になってわたしの中でこの「懐かしい未来」が再びクローズアップされてきた
今まで何度も浮上していたが
今回はより強く意識しているような感じがする
それはこれまで学んだ「縄文の生き方」に通ずるからなのかもしれない
今この「縄文の人々の生き方」が氣になって仕方がない
数年前上野の博物館で『縄文展』があり友人と観に行った
暑い夏だったが炎天下の中たくさんの人が訪れ長蛇の列だった
「縄文時代」に興味のある人がこんなにいるんだと驚いた
学校の歴史で習った「縄文時代」は狩猟民族で
子どもの頃に観たアニメ「はじめ人間ギャートルズ」(わかる人にはわかる笑)
そのもののイメージしかなかった
個人的には何かわからないけど とても惹かれる縄文時代
そして縄文土器の形も好きで 直接見たいと思い出掛けた
博物館では直接土器に触れることは出来なかったが
何とも言えないエネルギーを感じて興奮した
これ ただの土器じゃないね…
一緒に行った友人もそれは感じていたようだった
歴史の教科書では教えてもらえなかった「秘密」が
この時代にはあるような氣がした
さらに縄文土器は現在のテクノロジーを使っても作れないという
一万年以上も前に存在した「縄文のテクノロジー」が
もしかしたらあったのかもしれない
最近縄文の人々をつづった本を読んだ
竪穴式住居などのいわゆる一般的に言われている縄文人の生活ではなく
別の切り口から見た縄文の人々の生活や生き方を書いたもの
それを読んだとき真っ先に「懐かしい未来」という言葉が浮かんだ
そしてこの時代に戻りたいと思った
縄文の人々は「所有」という概念がなかったこと
すべての物は「地球からの恵み」としてみんな平等に分けていたこと
(これは必要以上に所有しないことになる)
子どもはみんなの宝 みんなで育てていたこと等々
そして一番心に響いたのは
それぞれが「干渉しない」ということが
一番大切にされていたということだった
働きたいときに働き 食べたいときに食べ
困った人には自然に手を差し伸べ
それぞれが今自分が出来ることをただ単に提供していただけの
『循環する社会』が成り立っていたという
もちろん所有という概念がないのでお金もない
お金がなくても社会は循環していた 一万年以上も…
今の私たちの社会は互いに監視し合うピラミット型の社会
国にはトップがいて その下に大臣や閣僚がいて
会社には社長がいて その下に専務や部長がいて
お店にも店長がいて その下に従業員がいる
もしかしたら一番小さな社会の「家庭」でも
同じことが起こっているかもしれない 大人の下に子どもがいて…
そしてみんなが苦しんでいるのが 今の社会のような氣がする
そうだよね 延々に続くピラミットの中で生きているのだから…
もしかすると 縄文の人々のように「みんなで創るまあるい社会」になったら
本来の人間らしい生き方になるのかもしれない
実際そういう社会に心が動く
自分の好きなこと得意とすることが 誰かの役に立つ
それがどんなに小さなことであっても…
そして必要のない人間なんて一人もいない
そう思うと 全ての命が大切なものになってくるね
一番大切な「干渉しない」ということは「尊重する」ということ
自分はこう思うこう考える
でもあなたはこう思っているこう考えているんだねって
良し悪しもなくただそれだけ 互いに尊重するだけ
それなら争いは起こらない
縄文の人々に感じた「懐かしい未来」って
伝統を大切にしながら今の新しいテクノロジーを融合させて
大きく循環する「まあるい社会」のことなのかもしれないと思った
「令和」は「beautiful Harmony」の時代 みんなが美しく調和する
そんな社会でこれからは生きたい
想像を創造しながら…

