「鹿田さん、おはようございます。」職員のお姉ちゃんが毎朝声を掛けてくる。いくら個室だからと言っても常に監視され続けているわけだから、結局は自由のない毎日を送っていた。ここは老人ホーム。私は歩けなくなったからって、息子の嫁に押し込まれたの。ここにいる年寄りはみんな、所詮は家族に見捨てられた存在だよ。私はね、ずっと世の中のことを思って、我慢また我慢で生きてきた。せっかくおうちでゆっくりとした老後を楽しみたかったのに、人生の最期の最期に刑務所に入れられちゃった気分。今どきの若い子は年寄りにこんな仕打ちをして平気なのかしら。人生の先輩を大事にできないなんて本当にあきれちゃう。まあ仕方ないから、また我慢の毎日なのよ。

 お医者さんに「歩け」なんて言われてもさ、脚が痛いもん、歩けるわけがないよね。最近は高性能な車椅子だってあるんだし、歩けなくてもいいじゃない。まあ、私は道具に頼るなんて恥ずかしいから、できるだけ歩こうとしとしてはいるんだけどね。この前ね、同じ施設で生活している年寄りたちと一緒に、夏野菜の種まきをしたの。私はトウモロコシを植えたのよ。夏になれば甘くて美味しいトウモロコシに育つよ。まあ、ここにいる年寄りたちのどれだけがありつけるのかは知らないけどね。

 そういえばねえ、私も幼かったころにうちの畑でトウモロコシを育てたねえ。うちは父ちゃんと母ちゃんと年が離れた兄さんと私で四人家族だった。末っ子で年が離れてて女の子だった私はすごく可愛がられて育った。幼いころは本当に何も不自由のない生活をしてた。困ったら兄さんが何とかしてくれた。悪さをしても私だけは許されてた。たわわに実ってきたトウモロコシを眺めながら、そろそろ収穫だとわくわくしていた。それがあの夏の日、全て消えた。

 昭和二十年八月六日、勘のいい人ならもうわかるよね。米軍が私の街に原子爆弾を落としたの。夏なのに蝉の鳴き声すらしなくなった。幸いにも私は陰にいて無事だった。聞こえてくるのは水を求めるうめき声。さっきまでの普通の夏は恐怖に変わった。私は急いで父ちゃんと母ちゃんを探した。でも、みんな皮膚がただれてて人間とは思えない。怖かった。幼い私には父ちゃんと母ちゃんは見つけられなかった。もしかして、おうちに帰れば誰かいるのかもしれない。私は家の方向へ走った。もちろん、何も残っていなかった。高熱で熔けてなくなってしまったみたい。きっと、母ちゃんも一緒に。本当に何にも残っていなかった。後ろを振り向くと、水を求めてくる化け物がいた。父ちゃんだった。水を川からすくってきて差し出すと、父ちゃんはそれを飲んだとたん、苦しみながら亡くなった。黒い雨が降ってくる。何かがおかしい。街中が毒だらけなのかもしれない。そこら中に化け物が倒れている。この世の終わりにしか思えなかった。その夜は硬くなった化け物のそばに穴を掘って、中にもぐって震えていた。

 次の日、私は空腹で目が覚めた。そういえば昨日から何も食べていない。もう私は一人なんだ。お国のためにも、なんとか一人で生き延びないといけないんだ。だめもとでトウモロコシの様子を見に行った。焼トウモロコシどころか、植わっていた形跡すら見当たらなかった。うちは貧しくはなかったから、お腹が減ればおやつに蒸かしイモくらいはもらえていた。人生で初めて空腹を我慢した。これからずっと我慢な生活が続くのかと絶望的であった。

 私の知らない間に大人たちが動いてくれたみたいで、親戚のおじさんが私を迎えに来た。しかし、居候の身の私に夏を感じることは我慢させられた。トウモロコシは端っこの部分、スイカだって皮しかもらえない。でも、文句を言えば追い出されるかもしれないから我慢するしかない。うちにいてもまともに扱ってもらえず、外に出ればよそ者と罵られた。結婚するまでずっと我慢に我慢を重ねる、暗くて日の当たらない人生だった。

 こんな私を旦那はもらってくれた。だけど、結婚生活も我慢にあふれていた。子育てだって我慢の連続。楽しいことはあったのかもしれない。笑顔になることだって確かにあった。でも、結局は我慢してばかり。私の人生に日が差すことはなかった。

 私は家族のために一生懸命に家事をしてきた。姑の介護だって私一人でやり抜いた。息子だって立派に育てた。私は日本の女として、母として、責任を果たしてきたんだ。それなのに息子の嫁はどういうことだ。共働きで家事は旦那と分担、おまけに私を老人ホームに押し込んだ。私がまだまだ現役だった時代にはあり得なかった。こんなの日本じゃない。日本の女は我慢して我慢して生きるべきなんだ。どうせ、私は時代遅れのババアだよ。でもねこれだけは言えるよ。伝統を大切にできないものは必ず滅びるんだ。男は男らしく、女は女らしく生きる。それが日本なんだ。日本の伝統なんだ。

 ある日突然、私は歩けるようになった。あんなに痛かった脚が嘘のように痛くない。私は嬉しくなって、目の前を流れる川を渡った。その先ではみんなが楽しそうに暮らしていた。この世界では大人も子供も、人間も人間以外も何にも関係ない。みんなが好きなことをしている。蜘蛛の糸で釣りをしてる人もいるのね。どうやら、人に迷惑をかけたらいけないという暗黙の了解の下でみんなが好き勝手に人生を楽しんでいる。自然とお互いがお互いの価値観を大事にしあえているんだね。自分の考えを他人に押し付けることなんてしない。うちはうち、よそはよその精神。暗黙の了解さえ守っていれば他人に干渉されないんだね。我慢、我慢で生きてきた私の人生にようやく花が咲いた。我慢から解放されて人生に日が差し込んできた気がして、嬉しくて楽しくて、私を老人ホームに閉じ込めた嫁のことなんかすっかり頭の中から外れていた。

 そう、気が付いたら私は死んでいたんだね。偶然にも、この世界で私の兄さんに出会った。年が離れていたはずなのに兄さんは今も兄さんのままだった。父ちゃんと母ちゃんはここにはいないんだってね。長い間ここにいる兄さんも会ったことがないらしい。私は兄さんに幼かったあの日に起こった話、父ちゃんの死にざまを話した。兄さんは黒い涙を浮かべながら私の話を聞いていた。「男なのに泣くんじゃない。」私がそう口にした時だった。「伝統を大切にできないものは必ず滅びるんだ。」どこからか聞こえてくる声、どうやら私に向かっている。そう、私は気が付いていなかった。ここに残っているのは私が生まれる前の、古くからの日本の伝統だった。私が大事にしてきた伝統とは違う、日本の伝統であった。それぞれが自分の価値観を持っている、でもそれを押し付けることは決してない。私はこの世界では必須の「本音と建前」の伝統さえ持ち合わせていなかった。私の我慢、我慢で耐えて守ってきたものは何だったんだろう。

 気が付くと私はまた違う世界に移っていた。ラジオから流れる声、臣民が集まって涙を流しながら耳を傾ける姿がそこにあった。ポツダム宣言を受諾して無条件降伏、そう、国が滅んだ瞬間だ。私はやっと気が付いた。あの時の社会は日本らしさでもなんでもなかったんだ。長く続いてきた伝統を無視して、新しく創られた硬い硬い価値観を絶対視してしまっていたんだ。お互いが「自分の価値観が正義だ。絶対に正しいんだ。」とぶつかり合った。そのせいでたくさんの命が失われた。たくさんの人が苦しんだ。たくさんの人が振り回された。なのに私はずっとこの硬い価値観のままで生きてきてしまった。だから、我慢また我慢でとてもつらい人生を歩んでしまったんだ。思い返せば、息子も息子の嫁も自分の生きたいように生きて、とても楽しそうだ。新しいものもうまく取り入れて、充実した人生を送っていた。なんで私はこんなにも型にこだわっていたんだろう。なんで私はこんなにも我慢を続けていたんだろう。我慢、我慢の私の人生に何の意味があったのだろう。

今思えば、老人ホームだって本当は悪くはなかった。私はただただ自分の価値観以外を認めず、自分を苦しめ、息子や息子の嫁を苦しめていた。硬い価値観の中に縛られて、我慢を重ねる自分に酔っ払い、周りにまで我慢することを押し付けていた。そこに伝統なんてものは消えてしまっていた。どうしようか。もう一度、息子や息子の嫁とお話がしたい。いや話せなくてもいい、せめて一言謝りたい。でも、もう今の私にはどうすることもできない。私だってもっと日の当たる人生を楽しみたかった。私だってもっと好きに生きたかった。我慢、また我慢の私の人生は何の意味もなかったんだ。私はもう泣くことしかできなかった。

私は泣いた。太陽の日差しが照りつける中で、泣いて泣いて泣きまくった。次の日もその次の日もずっと泣いた。泣いて泣いて泣いて泣いて、そして、一人力尽きた。次の夏は静かな夏になりそうだ。