今週の宋さんのメルマガより


1.論長論短 No.149

蕎麦畑

宋 文洲


30代で父親を亡くしたのに、なぜか40歳過ぎてからよく父親の話を思い出すよ

うになりました。最近はよく「蕎麦畑の話」を思い出します。これは小さい時

に何回も聞かされた話です


田舎の人々にとって上海は昔から中国の中の先進国です。上海から来た人が尊敬され、認められたことは間違いありません。そのため、上海に行ってきた村人の多くは帰ってきた途端、わざと上海語を真似します。


多くの村人はそれを羨望と敬意をもって聞き入れますが、外を知る見識のある村人はそれを軽薄と見るのです。


ある見識のある長老が息子を上海への旅に出しました。見聞を広げるためです。

一ヵ月後、その息子が戻ってきましたが、父親ががっかりしました。大して視野は広がらないわりに言葉にはやたら上海語を交えます。注意してもなかなか変えようとしません。


ある朝、いつも通り、父親がその息子を連れて農作業に出かけました。蕎麦畑に生えた雑草の除去作業でした。怠けた息子は畑に着いてもなかなか作業を開始しないため、父親が「早くやらんか」と促すとその息子はなんと上海語で「これは何の作物かね」と言い出す始末でした。


怒った父親が息子を捕まえて地面に押し付けて鍬の棒でお尻を叩き続けました。

痛みに耐えられない息子は遠くにいる村人に助けを求めました。「助けてくれ、早く蕎麦園に来てくれ」。その時の言葉は母国語の山東語であり、作物も蕎麦だと分かっていました。


父が私にこれを語る目的はただ一つ。「外を知ることは良いことだが、それにかぶれて謙虚さを忘れてはいけない」ということです。


少し昔、ニューヨークタイムズの切り端をポケットから取り出して、日本の後進性と自分の先見性を証明しようとした言論人が居ました。その彼の名言は「日本の常識が世界の非常識」でした。しかし、この人が言っている「世界」とは間違っても中国やアジアが入っていません。彼の「世界」とは米国のことです。これこそ世界の非常識です。


(中略)


蕎麦を食べて育った人がちょっと上海に行ってくると蕎麦を知らないふりをし、中途半端な上海語を話して村人の目を引く行為は実話でした。父親が何度も私にそれを聞かせた理由は人に嫌われないようにするためではないと思います。

それで無知になり、進歩不能になるからです。


すべての大洋を回ってきても私は「蕎麦畑」を忘れることがないでしょう。私を育てた蕎麦畑、心の蕎麦畑。


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