こんにちは、神社伝書びと 守本です。
じつは、8月末からPCが壊れていまして…
神社写真が大量に保存されてるんですよね
古いPCからのデータの救出…
新しいPCの購入の作業…
少しずつ進んでいますが、
まだめどが立っていません
写真はiCloudにも入っているんで
無くなることはないんですが、
PCには神社の写真が、都道府県ごと
神社ごと、参拝日付ごとに整理されてる。
一方iCloudには、未整理の画像が大量に
並んでる。というわけです。
なかなか新しいPCを買って設定
するまでの時間が取れないので、
スマホだと画像の細かな処理が
上手くできないのですが、
小さい記事を書いてみようと思います。
予告の大山祇神社は画像の量も多いため
その次に書こうと思っていた、
福岡県の織旗神社を
先にご紹介させていただきますね。
織旗神社
織旗神社は、福岡県宗像市の
鐘崎というところにあります。
漁港で有名な、猟師町です。
宗像大社の「みあれ祭」の後に行きました。
宗像大社から車で15分ほどの距離になります。
織旗神社は宗像大社の境外摂社で、
宗像大社沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮と
鎮国寺、そしてここ織幡神社を総じて
「宗像五社」と称します。
みあれ祭の記事はこちら
織旗神社は、文字通りの海っぺたにあります。
スマホからだと画像サイズを
変えられないので、大きいマップですが
海っぺたのイメージついたでしょうか。
漁港のそばに織旗神社があるんですが、
漁港には、みあれ祭から帰ってきた
大漁旗の漁船が停まっていました。
鳥居です。
御由緒書です。
武内宿禰さまを主祭神とし、
住吉大神、志賀大神が御同座されています。
武内宿禰さまは、三韓征伐で有名な
神功皇后と関係の深い神様ですね。
海の神様である住吉大神さま、
志賀大神さまではなく
武内宿禰さまが主祭神とされていて
大漁祈願よりも、海上安全よりも
武神としての鎮護が目的だったことが
わかります。
宗像観光協会さまの案内によれば、
異族襲来の際に、海浜守護のために
鎮座されたということです。
場所はだいぶ離れていますが、
福岡は元寇襲来の歴史もありすから、
古くから海を渡って征服者が
上陸してきたのでしょうね。
神功皇后も北部九州から
三韓征伐のために海を渡ったという
伝説がたくさんあります。
(武内宿禰さまはその家臣という位置付け)
織旗神社の名前の由来は、
この三韓征伐の際に、神功皇后が
赤白の旗を織って竿につけた、
という逸話からきているのだとか。
次の鳥居をくぐると、長い階段が
見えます。
登って行くと、眼下には海が見え
秋の心地よい潮風とともに、
んーっと背伸びをしたくなるような
解放感があります。
階段の中腹にもお社があります。
↑高殿神社。
應神天皇さまをお祀りしています。
↑今宮社です。
御祭神は記載が見当たらないのですが
恵比寿さまかな?
社殿が見えて来ました!
拝殿です。
綺麗に整えられていますね!
↓三柱をお祀りしているお社。
御祭神はわかりませんでした。
こちらの二社はわかりました。
↑左が恵比寿神社、
右が海原神社。右の御祭神は不明。
↓これは、場所どこだったかな。
拝殿の窓には、
「沖の島展望所へ」と紙が貼られています。
行ってみましょう!!
行ってみますと、岬の先端付近に出て、
鈴はないですが縄が下がっています。
向こうは見渡す限りの海原です。
縄の向こうに、沖の島方向をさす
板がありました。
縄は明らかに参拝用です。
かつては鈴があったのかもしれませんね。
左に見えているのは地島(じしま)で、
宗像大社沖津宮がある沖の島は
地島より少し右、ずっと向こうです。
残念ながら、見ることは叶いませんでした。
拝殿に戻ってきました。
御朱印のスタンプがありましたが、
御朱印帳を持って来ていないので
押せませんでした。
お顔が風化してる狛犬さんですが
もともとの愛嬌ある表情が
窺い知れます。
話は変わりますが、織旗神社では
「旅する蝶」と言われるアサギマダラが
見られるそうです。
長距離を移動する渡り蝶で、ぜひ
見たかったですが
まだ時期には少し早かったようです。
トップの写真がアサギマダラの
写真です。(市販の画像)
最初の鳥居を外に出たら、
木枠の向こうに、恵比寿さまが
彫られているらしい石板が
ありました。
その石板の足元には
恵比寿さまらしきお面もありました。
お顔がチラ見えしているのが、
ユーモラスなのか、怖いのか笑
夜に見たらビビってしまいそう。
流木みたいなのも飾られてますね。
ツルツルしているので
海で拾われたものなのかもしれませんね。
主祭神は武内宿禰さまですが、
恵比寿さまゆかりのお社が多いですね。
後から大漁を祈る信仰の方が強く
なってきた、ということでしょうかね。
それだけ、平和になったということ
なのかもしれません。
そして、拝殿の方も、武内宿禰さまの
雰囲気は感じることができなかった
ので…ここでの武神としての役割は
終えていらっしゃるのかもしれませんね。
御本殿に配祀されてはいませんが、
どちらかといえば応神天皇さまの
感じがしました。住吉三神さまの
雰囲気もありますね。
なんというか、非日常というか
少し時の流れがふわっとなって
ぼやけるような感じがして不思議な
空間でした。
生真面目〜な神様の感じと、
ゆるっと横になっている神様の感じの
両方が感じられました。
どちらにしても、
そしてそれは、ここの神様と土地の
なせる技なのかもな?と思います。
ここと似た空間を今思い出しました。
見た目はまったく違うんですが
宇美八幡宮の奥の院です。
そういえは、そこも応神天皇さまが
お祀りされていますね。
漁港には海女の像があります。
この地の先祖は鐘崎海人族と呼ばれ
潜水術に優れていたとあります。
西日本海女の発祥の地とも。
この巨石は、鐘崎の地名の由来でもある
沈鐘伝説に関わりが深いものです。
ここの海には、外国から来た鐘が沈んでいる
という伝説が古くからあるそうです。
それで、黒田長政をはじめ多くの人が
鐘を引き揚げようと試みてきましたが
ついに大正時代に成功したと思われた
ところ、巨石であったということです。
この巨石は、鐘崎の地名の由来でもあり
海のどこかに鐘が沈んでいるという
伝説を語り継ぐものとなっています。
次回…はPC復活したら書こうかな。
今度こそ大山祇神社の予定です。