こんにちは、神社伝書びと 守本です。

神社以外の記事を
少しだけ書いていたんだけど
時期的にこっちの方がいいかなぁ、と
思いまして
神社記事を書かせていただきます。

福岡県にある筥崎宮です。

なぜ今かというと、もうすぐ
放生会というお祭りがある時期なので
ご紹介するのにちょうどいいかな?
というのが理由です。

筥崎宮は、箱崎八幡宮とも呼ばれ、
大分県の宇佐神宮、
京都府の石清水八幡宮
と並んで、日本三大八幡宮とされます。

何度もご参拝したことあります。
だけど、今回は
ちょっと目的がありました。

これまでは、本殿にご参拝しか
したことがなかったのですが
筥崎宮の「全部」を巡ってみようと
思ったのです。

境内図を公式HPからお借りしました。


いつも地下鉄か西鉄バスで来ますと
この参道の途中に出ますので
まっすぐ本殿の方に行ってしまい
参道の一番最初、博多湾のところから
ご参拝をしたことがなかったのです。

グーグルマップさんで見ると、
ココです。



と、参道を海に向かって進み、
国道3号線まで来ましたら
・・・

(画像はgooglemapから)

がっつり立入禁止でした!!
ちーん


柵の間にへばりついて撮った
ズーム写真です。


この砂浜は、
「お汐井とり」が行われる場所です。
お汐井とりとは、ここ箱崎浜の砂を
お清め用の砂としていただく行事です。
博多の神社ではお汐井とりの砂を
授与していたり、
お清め用においてあったりと、
よく見かけるものです。
使い方は、お清め塩と同じです。

櫛田神社の博多祇園山笠のときも
山舁き姿の男衆たちが
お清めのために、ここで海に入り
お砂をいただいて帰る神事があります。

まあ、神聖な場所だから
特別な時、特別な人しか
立ち入れないのかもしれませんね。。

気を取り直しまして
振り返り本殿の方へと向かいます。

もとは、国道3号線のところに
大きな鳥居がありましたが
経年劣化のため、2018年に撤去
されました。
googlemapの画像にはこの鳥居が
残っていました・・。
今はもうない鳥居です。


この画像もいずれgooglemapから
消えるのでしょうね。
寂しいです。

この鳥居の先、左手に
「浜宮」があります。
ここにもご参拝・・・・

のつもりが、

絶賛工事中・・・
お社は白い幕で覆われ、中も
何もない状態で
ご参拝はできませんでした。

ちーん

では、、、いつものご参拝コースへ
向かいますよ。
長ーい参道です。



半分ほど歩いてやっと鳥居です。


その次の鳥居まで歩いて、やっと
楼門が見えてきます。


鳥居ばかりしつこいですが、
この景色が一番美しいかもしれません。
この鳥居は国の重文で
貫と笠木の長さが同じである
筥崎鳥居という様式のものです。



その先にあるのが楼門です。
これも重文です。


この楼門には「敵國降伏」という
亀山上皇が奉納した扁額があります。
この文字は、醍醐天皇の筆によるもの
だそうで、
このことから別名「伏敵門」と呼ばれ
古くから信仰を集めました。
蒙古襲来の折に神風が吹き
未曾有の困難に打ち勝ったことから
厄除・勝運の神として有名なのだそうです。
足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、
豊臣秀吉などの武将も訪れました。

神社で「敵國降伏」という言葉に
困惑する方もいらっしゃるかも
しれませんが、
ここでは実は武力の意味ではありません。
後程説明しますね。

さて、一般のご参拝は、
この楼門越しに拝殿に向かって
行います。



ここに、「敵國降伏」の意味が
書かれています。
それによると、

武力で相手を降伏させる(覇道)では
なく、徳の力をもって導き、
相手が自らなびき、降伏するという
王道である我が国の在り方を説いて
います


となっています。
(一部漢字を直しています)

この考え方は、孟子の思想に
よるもののようですね。
覇道は武力による政治をさし、
王道は徳による政治をさしています。

さて、、、
今頃?かもしれませんが
ここ筥崎宮のご祭神は、、
八幡さまですから、
もちろん

応神天皇さま。
そして、
神功皇后さま
玉依姫命さまを相殿とします。

この楼門の手前には「筥松」が
あります。


神功皇后が応神天皇を出産した際
胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め
印として植えられたのがこの「筥松」と
言われています。

「筥崎宮」の名の由来はここから
来ています。

で、ご祭神についてですが

福岡は神功皇后の伝説が多い地ですので
あちこちで
この組み合わせの配祀を見かけますが
ここは、ちょっと異色な感じがします。

応神天皇さまの存在は、それほど
感じられないのですよね。
私はもともと、元・人間の神様を
感じ取るのは若干ニガテですので
これまでは「よくわかんない」で
済ませてきました。

しかし、今の私は
宇美八幡宮で、はっきりと
応神天皇さまを感じられたことが
あります。
そこで比較ができる今は、、
こう感じます。

ここで大きな存在感を放っているのは
応神天皇さまでもなく、
古事記や日本書紀の神様でもない。
・・・と。

といって、その辺の自然神でもなくて
もっと洗練された存在です。
そして、宇宙由来でもなくて、土着の
存在であるということ。

あえていえば、龍神さま?
かもしれませんが、それにしても
洗練されすぎて(失礼)
お力が強すぎるのです。


(飛行機が映り込むところが福岡らしいです)

その神様は、とーっても無口ですが
存在感は異様なほど大きいです。
眼光は、龍そのものに見えますが
龍神と呼んで良いものか…

ライオンのことを猫というような
恐竜のことをトカゲというような
それほどの差を感じますが、、。


ただ、どうしてこのようなところに
いらっしゃるのか。
わかりかねて、理由を尋ねてみました。

すると、、、

契約によって、
この地に留まっている


と、言われたように思いました。

どうやら・・・
過去に、この神様を強い力で
ここに留めた人がいたようなのです。

よくここの上空を飛んでいらしたので
この地方がホームグラウンドでは
あるのかもしれませんが、
この神様にとっては、本当は
日本など小さい庭のようなものです。
しかし、ある時強い力で引っ張られて
捕縛されてしまった。

そして、この地に留まり、
この地を守るようにと、契約を
結んだ・・・・と。



そんな感じがしました。

それにしても、果たして
それほど力の強い人間が
いたのでしょうか。。

それは、もしかしたら。。。

応仁天皇さまの胞衣(えな)を
この地に埋めた、
「あの人」だったのではないか、
とちょっと想像したりしました。
「あの人」が胞衣(えな)を守るため
ここにこの神様を、留めたのでは。。

そこの真偽はともあれ
この神様は
最初はそうやって来たのですが
現在は
人々の小さな願いを
可愛らしいと思われ
その力を分けてくださるよう
なのです。

昔々の、野心溢れる武将に
ひれ伏し請われることよりも
今の人々の、神様に向ける
無邪気な愛情の方が
ずっと居心地が良い、と
思ってくださっている。

今でも契約は続いており
この神様は留まり続けますが
本当は。。。
この地をちょっぴり
気に入ってくださっている、
のかもしれません。

ただ、礼儀を知らない人に対しては
冷酷なほど厳しいかもしれませんね。

…あれ?
あの龍の目…
仲哀天皇さまに似ている…かも。
え?滝汗

※以上は私の個人的な感想です。

ここ筥崎宮では、
9月12日から18日までの間
放生会(ほうじょうや)という
お祭りが行われます。
博多の春のどんたく、
夏の祇園山笠と並ぶ
博多の三大祭りと言われ、
動員数は100万人にもなるそうです。


(画像は福岡市シティガイドさまからお借りしました)

放生会ですから、
昼の祭事もあるんですが
なんといっても夜店の賑わいが
名物です。
露店の数は500もあるそうです。
お化け屋敷とかも、あるんですよ。
(今も多分)

おはじきとかちゃんぽんとか。
詳しくは説明しませんが
博多っ子にはお馴染みの風物詩も
思い出も、多いお祭りですw。

興味ある方は、福岡市シティガイドさま
の紹介ページををどうぞ。
(回し者ではありませんが)

次回は
筥崎宮の末社群とゆかりの神社を
ご紹介します。
長くなりましたので、ご朱印も次回に。

AmebaOwnd神社伝書びとのおぼえがき
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