こんにちは、神社伝書びと 守本です。

 

狭野神社で熱烈歓迎してくださった神様

 

それは、水神社の女神さま

罔象女みつはのめさまでした。

 

ミズハノメさまは、

待っていたぞというふうで

ニコニコして私を見ておられました。

 

その表情は、

参拝に来た人間にというよりは、

私が友達でもあるかのようにとても親しげで、

ユーモアもたたえた表情でした。

 

前回、こちらに参拝したときには

「龍がいる」とだけ感じ

それでも衝撃を受けたのを覚えています。

 

今回お会いしたミズハノメさまは

大きな白い龍を伴っておられました。

とても大きな龍なので、ミズハノメさまに

頭だけ預けて、体の残りはお社を飛びたし

後ろの木に巻き付いていました。

前回ご参拝したときには、

この龍の存在しか感じられなかったことがわかりました。

 

 

ミズハノメさまは

 

そなたは、精霊に好かれておるのう。

私の龍もそなたが好きなようじゃ。

 

と、龍をナデナデしながらおっしゃいました。

 

白龍は、音譜音譜という感じで

私をフレンドリーなまなざしで見ています。

 

精霊に好かれるのでしょうかね・・・

自覚はなかったですが( ̄▽ ̄)

まあ、そう言われれば心当たりはいろいろあるような・・笑

(そのうちエピソード書きますね)

きっと、そんな体質なのでしょう。

 

ミズハノメさまがおっしゃるには

 

あちこちで、

驕ってはいけないと戒めを受けているようじゃな
(霧島東神社でも謙虚さの大切さを説かれました)

 

神と繋がる道は、力を抜いて自然体でいることぞ

 

玉は投げたり受け取ったりするものじゃ

考えすぎる者は、玉を人に渡さずに

自分で持っていることが多い

 

玉を長く持ったままにしておると、

霊力が玉にたまりすぎて、おかしくなるのじゃ

 

良いか

玉というのは魂のことじゃ

魂は、人に磨いてもらうのじゃ

魂を人に預けるには、人を信頼しなくてはならない

魂を人に預けることができない者は

人を信頼していないということであり

それが、驕るということなのだよ

 

そなたは考えすぎる

魂は、人に分け与えるものなのじゃ

一人で抱えるのではない

そうして、人に磨いてもらって成長するのだよ

 

驕るなというのは

神の前で謙虚であれということではない

決して神の前に委縮しなくても良いのだ

ただ、人を信頼すれば

そなたはそれで良いのだ

 

・・・・と、

家庭教師並みに、

丁寧に教えてくださったのでした。

すごーく納得するお話でした。

 

私に対する語りかけではありますが

参考になる方もいらっしゃると思いますので

シェアさせていただきました。

 

ところで、お話する間、お社のシデが、

一枚だけクルクルと回っていました。

不思議だったため動画を撮りましたので

良かったらどうぞ。30秒ほどです。

しんしんとしたセミの声も聞いていただけます。

動画では声が小さいですが

実際のセミの声はサラウンド状態ですので

五臓六腑に響き渡る音でした。

 

後で知ったのですが、

こういう1枚だけクルクルという現象は

神様の歓迎のサインと言われているようですね。

 

私なりに思うのは

ミズハノメさまが歓迎してくださったのは

私が霧島東神社で、虻の洗礼を受けながらも

最後までエネルギーに負けずに頑張ったことや

白龍が喜んでくれていたことなどが

理由だったのかもしれません。



 

最後にもう一度、

美しい狭野神社の鳥居を載せますね。

(前回は掲載せず、締めに使おうと、とっておいた画像です)

 

次回は霧島岑神社の予定です。

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