こんにちは、神社伝書びと 守本です。

福岡県筑紫野市にある、筑紫神社に行ってきました。

 

近隣に用があり、面白い神社はないものかしら~ と検索して

突撃してしまいました(笑)。

 

ここの神様に興味を惹かれたのです。

 

ここのご祭神は、

筑紫大明神またはは白日別神(しらきわけのかみ)と言われています。

この白日別神様は筑紫の国魂とされています。

五十猛(いそたける)命さまであるとか、

素盞鳴(すさのお)尊であるなど所説あるみたいです。

しかし、その実態はわかっていないようです。

 

惹かれたのは、ここの伝説です。

 

ここは、「筑紫の国」の語源になっていると言われています。

(筑前の国と筑後の国を合わせた総称のようなもの)

麁猛神(あらくたけきかみ)という神様がいたそうです。

この神様は大変荒ぶる神で、通行人の半分を殺したので

「人の命尽くし」の神と呼ばれた、とか

その時死んだ人の棺のために山の木が尽きてしまった、とか。

それが「つくし」=「筑紫」となったそうなのですね。

 

この筑紫の神を祀ったのが、筑紫神社だというのです。

 

さて、どんな神社でしょうね。

この神社は、東参道と南参道があるようです。

東から参拝します。

 

参道に足を踏み入れたとき、

身体がふっと暖かく楽になりました。

 

最初の鳥居をくぐろうとすると、

黒いアゲハ蝶がヒラヒラと舞っていました。

ちょっと不思議な感じがしたので、印象に残りました。

 

 

毎度おなじみの階段ですが(笑)・・今は足を痛めています。

階段の手前にこんな看板がありました。

 

 

 

もちろん、こちらを昇ります(笑)。

すると、この参道でも黒アゲハ蝶がヒラヒラ・・

ついてきたのかしら。

 

さて、無事つきましたよ~。

相殿神は、宝満大神(=玉依姫命)、田村大神(坂上田村麻呂)です。

 

男神さまがいらっしゃいました。

ちょっと怖そうで男性的な面持ちですが、

ニコニコして私をまっすぐに見ておられます。

この神様は、正当な筑紫の国魂、白日別神さまのようです。

 

確かに、ここでたくさんの人間が命を失った情景は見えるのですが

この神様が殺したとは思えません。

 

この場所は、筑前の国と筑後の国の境目にあったとされています。

この地方を旅した伊能忠敬の測量日記でも、

ここは、「長崎街道と博多街道の追分(分かれ道)」となっているそうです。

 

このような場所には、魔が出るのです。

実際に魔物が出て人間をバリバリ食べたなどとは言いませんが、

何らかの負のエネルギーが働いて、事故が起きやすくなります。

江戸時代ともなれば、栄えた街道であれば強盗などの凶悪事件も起きたでしょう。

人を狂わせ迷わせ、転ばせるような力が、辻にはあります。

 

人がたくさん亡くなったのは、

 この神様が殺したからではありません。

 

この神様は、見守っていたのです。

死から守っていたのではなく、

亡くなった人の魂を助けていました。

神様のそういう姿が見えました。

神社の神様が人間の亡くなった魂を導くというのは、あまり聞かないように思いますが、それほどに数が多かったのでしょう。

 

これほどに命を落とした人が多かったのに、

ここはとても清浄な場所で、迷える魂の名残は何もありません。

迷える魂のかけらほども、です。

(もとの社殿は山頂にあったそうですが、神社の働きは同じです)

 

これは、亡くなった人が必ず迷うこの地に立ち

導き続けた、この神様のおかげだと思います。

 

あはは

今、白日別神さまが、ニッコリなさった気がします。

 

家に帰った後で気づいたのですが

拝殿の上空の雲は、鳥が翼を広げたような形をしています。

 

黒いアゲハ蝶は、

この後も、何度も何度も姿を現しました。

私が最後の鳥居(行きとは違う鳥居)を出る時にも

ヒラリと私の目の前を横切って行きました。

その時にやっと、この蝶が特別であることに気づきました。

 

私は、普段はこういう

雲だとか動物を見て、神様のサインだ!みたいに

舞い上がる性格ではありませんし、

そんなに特別な人間でもありません。

 

でも今回は

理由はわかりませんが、恐れ多くも

喜んでいただいたのかもしれません。

 

なぜなのでしょうね。

不思議です。

 

さて、参拝を終えて今度は南の鳥居の方へ。

(実はこっち側にご神門があります)

 

次回は、摂末社のご紹介を簡単にさせていただきます。