『芦原町史』より 【あわら市北潟の富津地区の歴史】 | 森下幸蔵のブログ

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平成26年6月21日(土)




「カルピス」のロゴを見るとムーミンを思い出す世代の株式会社
モリシタの森下幸蔵です。
「カラダにピース  CALPIS」というコピーも素敵です。

さて、本題です。

あわら市北潟の富津地区の歴史は、昭和20年から始まりました。

 

『芦原町史』によると、富津地区の最初の入植者は、35戸。

その出身内訳は、福井市内の戦災被災者25戸、満州引揚者5戸、東京戦災引揚者2戸、朝鮮引揚者1戸となっていました。

 

いずれの世帯も、農業未経験者で、砂漠のような砂丘地に灌木林が点在している土地の開墾は、血の滲むような苦労の連続でした。

 

土地の開墾は、まず伐採と抜根から始まります。すべて人手によるもので、素足半裸での作業は、生傷の絶える間がなかったそうです。

 

最初の年の作付は、馬鈴薯(ジャガイモ)もしくは甘藷(サツマイモ)で、イモは小さく、反収(10アールの収量)は、せいぜい50貫(200キロ)でした。

 

開拓当時の生活は苦しく、やみ米は買えないので、米に、カボチャと山に自生するリョウボの葉を混ぜた飯が主食でした。

リョウボ

 リョウボ(リョウビ)

海が近いので、海岸で汲み上げた海水をマキで焚いて、塩一升を米二升に変えて、米を確保しました。

 

昭和23年10月 富津開拓農業協同組合結成

 

昭和24年 富津開拓農水産加工農業協同組合結成

 

昭和26年 富津開拓農水産加工農業協同組合を解散する。

富津開拓農協一本に絞り、特産スイカに集中し、初めて大阪中央市場に出荷する。

 

その後も、夏作早生大根の契約栽培をするが、うまくいかず、

 

昭和30年の入植10年を迎えた時点で、特産スイカを栽培する33戸の農村として安定しました。


つづく



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