さけ福井の耐候性ハウス、福井の農業用パイプハウス(ビニールハウス)、ガラス温室、育苗ハウスト等の施設園芸メーカー(見積・設計・施工・販売)で、農業資材販売の福井県福井市の株式会社モリシタ代表森下幸蔵
です。
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さて、トマトの話の続きです。
メキシコで栽培されたトマト。
1492年のコロンブスによる新大陸発見は、トマトの運命も変えることになります。
15世紀末、コロンブスがスペイン王国イザベラ女王の援助の下、カリブ海の西インド諸島を発見します(新大陸発見)。
16世紀にはいって、新大陸に派遣された「コンキスタドール(征服者)」と呼ばれるスペインの探検家たちは、メキシコのマヤ文明、アステカ文明、ペルーのインカ帝国を征服しました。
彼らは、その戦利品として、他の珍しい動植物とともに、トマトも、新大陸からヨーロッパに持ち込まれました。
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トマトに最初に出会ったヨーロッパ人は、1521年にアステカ文明を征服した、エルナン・コルテス(スペイン征服軍を率いる、コンキスタドールの代表格)と言われています。
エルナン・コルテスの帰国とともに、ヨーロッパに渡ったトマトですが、食用として普及したのは、なんと約200年経った18世紀になります。
トマトは茎葉や果実に独特の青臭さがあること、また、同じナス科にマンドラゴラという有毒植物と花がよく似ていたことから、トマトも毒草の一種と定義されていたことが大きな理由のようです。
また、その血のように赤い果実は忌み嫌われました一方で、その鮮やかな赤い果実を好み、観賞用植物としてのトマト愛好家も存在しました。
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ヨーロッパでトマトを初めて栽培し、食用としたのはイタリア人だという説が有力です。
イタリアで飢饉が発生して、仕方なくトマトを食べたことが、食用化の始まりと言われています。
飢餓を避けるため、恐る恐る食べてみたところ、中毒にもならないばかりか、意外に美味しいということが判明。
他の料理にもよく合うということで、このイタリアの飢饉を機に、南ヨーロッパを中心に、トマトの食文化が広まったそうです。