■MOVIE「12人の怒れる男」(英題:12 Angry Men)
裁判員制度もスタートしてもうすぐ2年経つ。
とある情報源から、この映画のことを知り、大変遅くなりましたが、ようやく観ることが出来ました。
多分いま仕事をしている人などは、毎日痛感しているのだと思いますが
数か月、自分奔放な生活をしている身としては、社会において自分と異なる性質の人に
意見を通すことのむずかしさを思い出させられた映画でもあります。
すみません、幼稚な感想で。
それとともに、仁徳って何かな、という点も大きなポイントかと思います。
まず12人の裁判員は、投票を行います。被告人が有罪かどうか。
そのときに主人公だけが無罪と答える。
でもそれは「無罪」であることを主張するためではなかった。
「人の命を奪う決断をするには、議論の時間がまだ短い」という意味だった。
それは例えば、頭がよくて裁判の矛盾点に気づいていたとか、あまのじゃくで人の意見に同意できないタチだとか、
そんな人を数段も超えた人間の答えであった。
そして勇気ある発言だった。
しかし、思えば私たちは「真実」を追い求めない生活をしている。
誰が何と言ったとか、何をどこで買ったとか、それを後から立証する必要はない。
むしろこまごましたことはごまかしながら生きて、契約をとったりしているわけだ。
そして、それがこわいときには、契約書という書類に残す。
そうして最低限のリスクヘッジをしながら、ゆるゆる生きている。
だから、裁判員制度の裁判員は、通常と異なる思考を求められているという点で
重要だが難しい仕事を任されているといっていいと思う。
自分も含めて、その点でその場で本領を発揮できる自信はないかなあ。。。
真実もそうだが、何より大事なのは、自分本位で考えられるかどうか、だと思う。
この映画では、たまたま一人、真剣に考える人がいたが、
他のメンバーがあまりに幼稚な主張ばかりするのが驚きだった。
この映画が出来た当時の状況はわからないが、
もし時代とともに、、、要するに人が人と交わることを経て
または人が裁判をより身近に感じることができるようになってきた結果に
今日本でされているような議論ができているとすれば、
それは理屈を抜いた人間社会の発展を喜ぶべきであろう。
多分その「発展」が、今後インターネット等の進出によって
少なからず方向転換することになるのであろうが。
どんな社会になっても、結局は「仁徳」が人の価値を決めると思っている。
その形がどのように変わるべきなのか、それは現代を生きる人で決まってくる。













