アカデミー賞4賞受賞した「英国王のスピーチ」を観てきました。
非常に良い映画でした。
ストーリーを話すとすれば、かなり簡単に話せるような、決して複雑ではないお話ですが
その中に、多くの社会的問題提起を含ませた作品になっていました。
これが史実ということで、「真実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、
この英国王の運命を、何か神の見えざる手のような力が働いていたような、
そんな歴史の重さも感じさせます。
そして、主演コリン・ファースの演技がすごい。
すごい。
この映画を観て思うに、「言葉を発する」というのは、なんとすごいことなのか。
ショージは、オーストラリア人に言葉を発する機会を多く重ねることで
言葉のもつ力の大きさ、これまで味わうことのなかった複雑な人間関係の中に身を置くことになり
新たな種類の悩みを感じ始めているようにみえた。
だが、そんな彼をみて、「やはり国王は『話す機械』ではない」ということがはっきりした。
なぜ運命が彼を選び、彼の兄を拒んだか。
なぜジョージ6世のスピーチの方が、兄のスピーチよりも心を打つのか。
最後のスピーチを聞きながら、私は理由もよくわからず図らずも涙を流してしまった。
さて、第二次世界大戦の代名詞と言っても過言ではないだろう、ヒトラー。
彼は演説が上手で、その話術でもってドイツ国民の心を一つにした。
ヒトラーの演説を聞きながら、ジョージ6世が「彼は演説が上手い」とつぶやいたのが
印象的だった。
一つは、「スピーチ」に対する彼の消極性が出ていたし、もう一つには戦争勃発の引き金をひいた
ヒトラーに対する嫌悪感も出ていた。そして、自分自身に対する自信の大きさの違いも感じさせた。
同じく「話す」ことが重要な立場にありながら、無関係なような、そんな印象は
もちろん戦争に対する意気込みの違いでもあったに違いない。
皮肉にも、ジョージ6世のスピーチの面倒を見たドクター(実際はドクターではないが)も、
元々は戦争がなければ、ジョージと出会うことはなかったであろう。
それでも戦争は嫌だ。
でも戦争をしなくてはならない。
そういった戦争に対するパラドックスを認識しなければならない。
さて、この映画が「良かった」という印象で終わるための要素として
音楽、構成が欠かせない。
「King's Speech」のタイトル画でもわかるとおり、非常にlightな作品である。
大げさなデコレーションは全くみられない。
それがいい。
途中のクラシック音楽がうまく背景に溶け込み良い演出をしていた。
ただし、ポスターだけはいただけない。
彼は決して「英国史上、もっとも内気な王。」ではなかったはずだ。