閑話休題 -25ページ目

 私の愛した歌人 5  北原白秋

 

  春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと 外の面の草に日の入る夕

  ヒヤシンス薄紫に咲きにけり はしめて心震ひそめし日

  アマリリス息も深げに燃ゆるとき ふと唇をさしあてしかな   

  あかあかと五重塔に入日さし かたかげの闇をちゃるめらのゆく

  日も暮れて櫨-はぜーの実採りのかへるころ 廓-くるわーの裏をゆけばかなしき

  手に取れば桐の反射の薄青き 新聞紙こそ泣かまほしけれ

  色硝子暮れてなまめく町の湯の 窓の下なるどくだみの花

  百舌鳥啼けば紺の腹掛け新しき わかき大工も涙ながしぬ

  かなしきは人間のみち牢獄-ひとやーみち 馬車の軋みてゆく礫道

  牢獄いでぬ重き木蓋をはねのけて 林檎函よりをどるここちに

  しみじみと海に雨降り澪ーみおーの雨 利休鼠となてけるかも

  薔薇の木に薔薇の花さくあなかしこ 何の不思議もないけれどなも

  葛飾の真間の継橋夏近し  二人わたれりその繼橋を

  米櫃に米のかすかに音するは 白玉のごとはかなかりけり

 

 上句から八首は、故郷九州柳川での思い出の歌。次の獄屋の歌は、上京した下宿の隣家の若妻に恋をし、その夫から姦通罪で訴えられて、獄に繋がれた時の歌。最後の二首は第二の妻、大分国東出身の江口章子と、葛飾の真間で貧困に耐えて暮したときの歌。

   後に北原は、短歌よりも童謡・詩歌の世界で突出することになる。

 

 私の愛した歌人 4-2

 引き続き吉井勇の短歌

 

  いつまでもさすらいの癖ぬけやらぬ 身こそあわれと思い初めしか

  寂しさの果を極めむねがひもて はるばる遠き旅をおもへり

  懐に銭の乏しきそれもよし こころの貧をむいかにせましか

  いくたびも燃えたるのちに残りたる 心の灰をいかにせましな

  その男ゆくへ知らずとなりにきと 明日の噂にのぼらむもよし

  旅のうれひいよいよ深くなるままに 土佐の韮生の山峡に来ぬ

    四国鴼へ渡ると言へばいち早く 遍路ごころにかりにけるかも

  石に座し雲を眺めてあるほどに 羅漢ごころになりにけるかも

  寂しければ或る日は酔ひて道の辺の 石の地蔵に酒たてまつる

  寂しければ酒ほがいせむこよいかも 彦山天狗現れて来よ

  海越えて往なむか山に籠らむか とまれ肥前の長崎に来ぬ

  大阿蘇の山ふところにねころびて ふとみつけたる蝶のさびしさ

  風吹かばころげて谷に落ちぬべき 羅漢の膝の栗の毬かも

  しめやかに年をむかふる炉のほとり 百済観音思ひてわが居り

  目をとじて命みじかき一葉の すがしさおもふ水仙の花

 

 前掲の青春期の抒情賛歌は、40歳頃妻と別れてからは、旅心止み難く,歌も人生の寂寥を歌う歌境に変わって行く。後編は彼の後世の寂しい生き方の中で生まれている。

 

 

 

 

 私の愛した歌人 4-1  吉井勇

 

  吉井勇の歌に初めて出会ったのは、18歳の高校生で、学生寮の先輩に歌集を貸してもらってからで、その後自分でも本を買い愛読した。薄暗い夜汽車の旅でも、彼の歌集一冊を持ち込めば退屈することがなかった。私の青春に大きな影響を与えた歌人であった。

 好きな歌が多すぎるので30数首に限定、2回に分けることにした。

 

    かにかくにいとにこやかに親しみぬ 薄な叫びと深なさけびと

    われ生まる君まだ在らずわれ長ず 君ありすでに恋人として

      かりがねは空ゆくわれら林ゆく 寂しかりけるわが秋もゆく

   海に入り浪のなかにてたわむれぬ 鰭の広もの狭ものらの如

   伊豆も見ゆ伊豆の山火も稀に見ゆ 伊豆はも恋いし吾妹子のごと

   博うたずうま酒酌まず汝等はみな 日をいただけどおろかなるな  

   君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも 万葉集の歌ほろぶ゛とも

   広重の海の色よりややうすし わがこの頃のかなしみの色

   かにかくし祇園は恋ひし寝るときも 枕の下を水が流れる  

   島原の角屋の塵はなつかしや 元禄の塵享保の塵

   祭り過ぎ大文字過ぎ夏もゆく いとあわただし京の暦は

   はるばると京を思へばほのかなる 蓬の香さえ夢に入るかな

   葛飾の紫煙草舎の夕けむり ひとすじ靡くあわれひとすじ

   夕されば狩場明神あらわれむ 山深うして犬の声する

   恋しらず情知らずのかの人は 賎し首陀羅の娘なるべし

   長崎に来れば忘れむかなしみか 丸山行けば消えむ愁いか

   白秋とともに泊まりし天草の 大江の宿は伴天連の宿

 

 

 

 

 私の愛する歌人・詩人3 若山牧水

 永らくしまいこまれていた、若き日に記録した素晴らしい歌人たちの歌。若山牧水15首

 

  海哀し山またかなし酔ひしれし 恋のひとみにあめつちもなし

  白鳥はかなしからずや空の青 海のあおにも染まずただよふ

  けふもまた心の鉦をうち鳴らし うち鳴らしつつあくがれて行く

  幾山河越え去り行かば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅行く

  いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに君は耐えるや

  山ねむる山のふもとに海ねむる かなしき春の国を旅行く

  白玉の歯にしみとおる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり

  はっとしてわれに返れば満目の 冬草山をわが歩み居り

  雪ふかき峡に埋もれて木の根なす 孤独に居らむ日も照るなかれ

  夏の樹にひかりのごとく鳥ぞなく 呼吸あるものは死ねよとぞ啼く

  ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ 秋もかすかにたなびきて居り

  われを恨み罵りしはてに噤みたる 母のくちもとひとつの歯もなき

  海底に眼の無き魚の住むといふ 目の無き魚の恋しかりけり  

  妻が目を盗みて飲める酒なれば あわて飲み噎ぶ鼻ゆこぼしぬ

  足音を忍ばせて行けば台所に わが酒の瓶は立ちて待ちをる

 

 青春の一時期、牧水に心酔する時期があった。青春の愛と孤独と寂寥、それを心の底から吐露した歌である。それゆえに彼は旅を愛した。芭蕉のごとく、各地に放浪の旅に生きた。私の好きな「幾山川・・」の歌は、中国山地の峠で詠んだといわれ、どうしても現地に行きたかったが果たさずにいる。ただ南九州の山深い彼の故郷の家には行ったことがある。

 これらの歌は目読だけではなく、小声でもよい、声を出して詠んでいただきたい。作歌の心が響いてくるからである。

 

  私の愛する歌人 2  石川啄木

    古い私の手帳に記録していた、青春に愛した歌と詩

 

    東海の小島の磯の白砂に         頬につたふ         石川啄木「一握の砂」

    われ泣きぬれて                 なみだのごはず

    蟹とたわむる                 一握の砂を示しし人を忘れず

 

    大といふ字を百あまり               たわむれに母を背負いて

    砂に書き                                           そのあまり軽ろきに泣きて

    死ぬことやめて帰り来たれり               三歩あゆまず

 

    こころよく                    はたらけど

    我にはたらく仕事あれ            はたらけど猶わが生活楽にならざり

    それを仕遂げて死なむと思ふ       じっと手を見る

 

    病のごと                    かにかくに渋谷村は恋しかり

    思郷のこころ湧く日なり           おもいでの山

    目にあおぞらの煙かなしも         おもいでの川

 

    やわらかに柳青める             あるさとの山に向ひて

    北上の岸辺目にみゆ            言ふことなし

    泣けとごとくに                 古さとの山はありがたきかな

 

         呼吸すれば                  新しき明日の来るを信ずといふ    「悲しき玩具」

    胸の中にも鳴る音あり            自分の言葉に

    凩よりもさびしきその音!          嘘は泣けれど―

 

    そんならば命が欲しくないのかと

    医者に言われて

    だまりし心!

私の愛する歌人 1

 書庫の中の廃棄書類の整理をしていたら、何年か前に書いた「近代詩歌集」が出て来た。私の青春に色どりを与えてくれた人々である。全部転載は出来ないが、主だった詩歌を選んでみようと思った。

 

  瓶にさす藤の花ふさ短ければ 畳の上にとゝかざりけり          正岡子規

  牛飼が歌よむ時に世の中の 新しき歌大いにおこる            伊藤左千代

  人の住む国辺を出でて白波が 大地両分けしはてに来にけり

  小夜深けに咲きてちるとふ稗草の ひそやかにして秋さりぬらむ    長塚 節

  馬追虫の鬚のそよろに来る秋は まなこを閉じて想ひ見るべし

  蝕みてほおづき赤き草むらに 朝は嗽の水捨てにけり

  われ男の子意気の子名の子剣の子 詩の子恋の子ああもだえの子  与謝野鉄幹

  その父はうち打擲すその母は 別れむと云ふあわれなる児等

  その子二十櫛にながるる黒髪の おごりの夏のうつくしきかな      与謝野晶子

  清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき

  やは肌の熱き血潮にふれも見ず さびしからずや道を説く君

  ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里 水の清滝夜の明けやすき

  四条橋おしろいあつき舞姫の ぬかささやかに撲つあられかな

  春の夜に小雨そぼ降る大原や 花に狐の出でてなく寺

  遠つあふみ大河ながるる国なかば 菜の花さきぬ富士をあなたに

  髪ながき小女と生まれ白百合に 額は伏せつつ君をこそ思へ      山川登美子

  それとなく紅き花みな智にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむ

  をみなにて又も来む世ぞ生まれまし 花もなつかし月もなつかし

   

 『源氏物語』

 毎年冬になると11月中旬から、電気毛布を下に敷き、マトンの上下にくるまり、蚕さんのように丸まって寝るのが楽しみになっている。すぐ寝付けないものだから、本を読みながら寝てしまう。

 今年は『源氏物語」-新潮社古典文学集成で全8巻。この本は原文の難しい語句には注があり、さらに古典の原文に、ルビつきの赤い現代語訳がついていて、文字も読みやすい。

 『源氏物語』を読み始めてからこれで 5 回目になる。11月「桐壺」の章から始まり、3月末に宇治十帖の「夢の懸け橋」の最後をまで読み通した。何回読んでも飽きるどころか、どんどん吸い込まれて行く。

 

 光源氏を物語の中心に、いろんな人物、特に数多くの女性が登場し、複雑に絡み合いながら、「愛」の交響曲を奏でる。光源氏と女性との複雑な絡み合い―この筋道の素晴らしさに圧倒される。次から次へと物語の糸は変化し、読者の興味を引き込んで行く。とても長い小説なのに飽きることがない。

紫式部の頭の中はどうなっているのだろうか。世界中を見渡しても、一人の女がこんな飽きることのない長編小説を書いたことに驚愕する。また書かれてる日本語(古典語)が素晴らしい。格式と品格を具え、万葉言葉より一段と洗練されている。現代語より格が一段上である。

 

 登場する人物は、主人公の光源氏はさりながら、多くの女たちの百人百色の個性が、見事に映し出されていて、女たちの真相は現代の女たちのものと変わらない。紫式部は女だから、女の観察力、それに対応する人物描写は鋭い。―-なべて女なる者に完璧な人はいないとしう前提に立っている。

その中で理想の女として、彼女の名を採った「紫の上」が登場して来る。その他六条の御息所、葵上、明石の上、夕顔,末摘花など、個性派が次々登場して読者を楽しませる。この女たちについては、後日私なりの観想を述べて行きたいと思っている。

 それについてこの女たちの群像の性格について、NHKは「性格フロート・チャート」で、女性の各自が自分の性格が、源氏物語のどの女性と一致するか?という面白いチャートを造っておられる。引用したいが著作権の問題があるので転載できない。各自でNHKの名著11紫式部『源氏物語』100分de名著の項を引いていただきたい。大変面白いチャートである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒城の月―滝廉太郎

 今年は桜の開花がいつもの年よりも速い。温暖化の影響だろうか。3月末に大阪万博公園に出掛けたが、桜と人で一杯、花の下には家族連れのシーツに弁当が広げられ、子供が走り回っていた。

 私は桜の下を歩きながら、いつも思い出しては口づさむのは「荒城の月」の歌である。土井晩翠が故郷仙台城を詠んだ歌とされるが、世に広がったのは、滝廉太郎(明治12~36年)の情緒的・哀愁的な作曲の調べが人々に絶賛され、小学唱歌に採り入れられてからであろう。

 

  春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして

  千代の松が枝わけいでし 昔の光いまいづこ

 

  滝廉太郎がこの歌の作曲を造ったのは、地方官吏の父の転勤で少年期を過ごした、大分県の肥後竹田町に遺る岡城跡の追憶だと言われている。

 私も訪ねて行った。日露戦争に名を遺した廣瀬武夫の故郷で、城跡にはもう何もないが、遠くに祖母傾山の連峰を望む、眺望の良い廃城である。

 この町は素晴らしい自然に満ちて、街並みも古色をとどめる城下町で、水も美味しいし、温泉もある。こんな故郷に住めたらいいなぁと、私の思う第一候補の街である。

 それに久住高原、刈り干し切り唄の里は心癒しの風景である。それに祖母山もよい。昔一目仰いでから、一度登りたくなり、宮崎県との県境、尾平峠から登ったことがある。山小屋で小屋の親父と酒を酌み交わしたのが今でも思い出される。山頂からの眺望は天下一品。東に傾山山系、西に雄大な阿蘇山系、南は宮崎を眼下に太平洋が広がる。いくつもの山を登った私には思い出深い山であった。

 

 

         岡城跡の滝廉太郎の銅像

 

                           岡城跡

 

   午後の射光に浮かぶ尾平峠からの祖母山

 

 

 

 

 

 

 

 

Oなの化粧

  人間は誰でも、字を書かされると人格と教養が現れるし、70歳らかの老後の顔には、それまで辿って来た歴史を刻んでいる。特に女の老後の顔立ちは、娘頃の肌艶は消え、苦楽の跡の痕跡が現れる。

それも人によって差がある。その跡をつくろうように化粧する。顔の皺が目立つのに、赤い口紅を付けた老女に時々出会う。本人は鼻が高いかも知れないが、私は顔をそむけたくなる。

  女の紫式部も、おうなの化粧に対して厳しい口調でなじっている。

 

  すさまじきもの おうなの化粧 師走の月夜           枕草子

 

  老いゆがめる容貌ーかたちーも知らず つくろひさまよふ    源氏物語 宇治十帖「早蕨」

 

 化粧ばかりではない。年寄りの女の生きざまを見るのは、日本ばかりではない。

 

   実際、身を持ち崩して来た老人の成れの果てをみるほど、ものあわれなものがまたとあろうか。

  それが女であればなおさらのこと、気品はさらになくなって、もう誰も目を付けてくれるものはない。 

  自分がよこしまな道を踏んで来たことを棚にあげて、ただ世渡りが下手で、無駄に金を使って来た

  ことばかりを、いつまでもくよくよしているのは、世にも哀れをとどめるもののひとつである。

                                         デュマ・フイス『椿姫』

 

 

 棟形志功板画

 戦後、白黒や、色彩に縄文系原色の情緒を描き、華やかに登場した棟形志功。掘ろうとする原図は彼の頭の中にあり、板に目を吸い付けて、無心に掘って行く後から、版木に素晴らしい絵が掘られる。誰も近づき得ない彼独自の孤高の世界で、それが人々を引き付けた。

 

 私は会社の褒賞に選ばれて、2週間のアメリカ漫遊の旅に行かせてもらった。サンフランシスコを皮切りに、ラスベガス、ヨセミテ、ナイヤガラ、ニュ-ヨーク、ハワイなど、豪華な旅であった。その途中、ニューヨークのタイムスクェアで、案内人から面白い版画を売っている店があると案内された。ビルの何階か狭い版画専門店であった。その店で私は棟形志功の版画2点を買い求めた。白黒の仏像を彫った絵で、彼独特のサインもあった。いくらだったか覚えていないが、安かったので皆から偽物ではないかと冷やかされた。大型トランクの端に大事にしまって帰朝、その後表装して額に入れ部屋に飾っていた。

 

 其の版画は今、福岡と佐賀の境、背振山系の東端、基山町の山裾のお寺にある。私が寄贈したからである。

 というのは友の父親が亡くなったので、葬式に四国の久万町まで出かけた際、葬列が途中でお棺をぐるぐる廻し始めた。不思議な葬列だからとカメラを向けた。その後急に頭痛がして体調が崩れ、道後温泉の宴会もそこそこに帰阪。ところがある人が九州の高僧を訪ねるように勧められて、福岡空港に飛び、寺の住職さんー高野山系の真言宗ーに祈祷をお願いしたところ、頭の半分だけが楽になり、後は良治方法を教えて貰って帰ったら、頭の頭痛が不思議に治った。それ以来和尚を信頼して色々相談をかけたが、和尚が高野山への途中弟子と一緒に大阪の我が家に尋ねてきて頂いた時、お寺に寄贈することにして、お弟子さんに持って帰って貰った。不思議な運命を辿った棟形志功の版画であった。