下々ーげげーの女   江夏美好 | 閑話休題

下々ーげげーの女   江夏美好

 飛鳥時代律令制により全国の納税制度が確立された。全国を納税高によって上・中・下国に分:けられ、飛騨の国は下国となったが、飛騨の奥の白川郷は米など貢納する物がなく、下の下、下々の国と呼ばれた。今では世界遺産に指定された合掌造りの村々てある。

 その中の格式あるたろえもの森下家に、一男・五女の末娘として、明治18年主人公のちなが生まれた。飼葉桶でしょっちゅう泣き止まず、あまり泣くのがひどいので桶まで壊されてしまった。しかも7つ頃まで口を利かず唖と間違えられていた。

 

 合掌造りの家は大家族制度で、戸主夫婦の外、血縁関係の者20数人が共同で住み、各自がれぞれ忙しい仕事に働いていた。冬の囲炉裏や焚物用の薪の、山からの伐採乾・乾燥、終われば田起し、稲床、田植え、日々の菜になる野菜の畠づくり、それlが終われば桑摘み、養蚕、糸引、機織りの女仕事、秋ともなれば大事な食糧となる橡の実拾い、さらに山の傾斜に火をつけ稗・大豆・小豆・そばなどを育てる焼畑の仕事。冬は雪が多いが屋根に傾斜があるので自然に落下する。男は冬の間は藁細工に日を過ごす。完全な自給自足の暮しで、人手は子供以外、全部が仕事を持ち働いている。

 

 直系の家付き娘は、年上であっても従姉妹・異兄妹らを統率して、かか以上家事一切を仕切る。ちなは末娘であったが、姉いの・たよ・ふで・りきは年頃になると共に家出をしてしまった。母も事前に彼女らの相談を受けていたようである。残ったちなだけは家付き娘として母は頼りにしていた。ところがいの・たよの姉が高山から一時家に戻り、ちなを押しのけて家付き娘の仕事を奪い取った。ちなは我慢ならず母にも告げずに家を飛び出した。

 

 そして高山で働き、初恋の大工棟梁の息子、今治と結婚する。彼は大工仕事を嫌い、土を相手の鉱夫となり、飛騨奥の三尾鉱山の鉱夫

になった。ちなも後を追いハーモニカ社宅に住み着く。狭い二間の社宅でちなは四男・三女を育て上げる。

 ちなの実家の合掌造りの家が突然失火で全焼、]村七戸のうち四戸まで焼失。村で最も古い実家は責任をとって部落の下座に移って家を建てた。ちなは将来合掌造りの家を建てゝ住むのが夢だが、夫の今治は酒無しでは激しい鉱夫の疲れを癒せず、毎日4~5合も飲むから貯金は少しも貯まらない。

 ところが定年の退職金が途中で500円も引き出されていて、それが白川村萩町の松村という男に、自宅を担保に貸し出されていた。返済の目途もないまま期限を迎え、松村は家を今治に明け渡し、今治とチなの一家は念願の合掌造りの家に引っ越す。

 

 時代は日清戦争から始まった日本の戦時下になり、男手は兵役に駆り出され、女たちも嫁入して家を去り、ちなの夢見ていた大家族制は時代的にも到底無理の時代になっていた。夫の今治も死に、子供も兵役や嫁入で出て行った後、ちなは戦死した長男康秀の孫、剛を頼りに生きるが、その剛も東京の大学に進み夏休みだけ帰ってくる。それでもかよは、嫁に行った娘たちに助けられながらも懸命に生き、齢78歳で往生する。生涯の果に辿った幸せは合掌造りの家に住むことだけであった。それに向かって白川という狭い山国で、働きづめに生き続けたかよであった。

 

 この小説は飛騨の四季の自然、また取り囲む山々の四季の移ろう描写、また狭い人間社会の助け合いと妬みの風土。それらを克明に記されており、、筆者は飛騨市で生まれ育ったからこの地の実情に詳しいからかくもも克明に書けたのだろう。この小説は民族誌としても当時の貴重な記録であり、彼女の観察力、筆力ともに素晴らしい大作にり敬服する.。惜しくも癌を患い自殺した。享年59歳であった。