黒髪ー近松秋江 | 閑話休題

 黒髪ー近松秋江

 いや凄い物語ーというよりは、近松秋江(明治9~昭和19年)の自伝,露骨な愛欲の私小説である。

 女は京都祇園の遊女で、「漆のやうに真っ黒い、大きな沈んだ瞳、おとなしそうな顔、白砂青松のごときばちりとした眉毛、ふっくらと張った髪の毛、すらりとした容姿。あらゆる自分の心を引き付ける、そんな美しい部分を総合的に持っている」お園という女である。

 秋江は東京から出て来て京都の祇園で遊んで知り合い、一目ぼれして将来一緒に住むことを約束し、彼女の置屋の借金を減らすようにと、数年間東京から金を送り続ける。一年半経って再び京都に来た秋江は母子に歓迎され、祇園の北の母子の二階借家の一室に1ヶ月ほど逗留する。ある日女はタンスの引き出しからいろんな着物を見せる。その時仏壇に二人の男の写真を見つける。『黒髪』

 それからが大変。秋江は送った金の使途を糺す。女は借金減らさず、着物を買い好きな男と交友して、借金はまだ千円残っているという。昔はじめて会った時と金額は変わらない。この金銭問題から二人の間はこじれる。秋江は鬱陶しい気分を晴らすために暫く紀伊に旅に出る。ところが京の家に戻ってくると、母子は引っ越して不在。

  行き先は分からず、荷物を運んだ車屋に教えてもらい、安井金毘羅道の東に居所を突き止めるが、母親が出て来て居ないと答える。その後、秋江はお園の出ていた置屋を訪ねる。お園は気違いの精神病になって遊女を止めたが、行先は分からないという。様子を見たいと母の借家を訪ねるが、病気療養のため山城の田舎に預けてあるという。その後母は法律事務所の男を連れて、秋江の宿に尋ねて来て、五百数十円出したらお園を渡すという。そんな大金はなく、男に山城の田舎の場所を教えてもらっい、土産を携えて木津川の奥の田舎を探すが分からず、年の瀬の凍える中を京に戻ってくる。『狂乱』

  新年を京都で迎えた秋江は、1月の中旬建仁寺の境内で母を見つけ、後をつけて行くと前の借家に入って行くのを見届けた。お園は田舎ではなくこの借家にいたことが分かり、格子戸を叩いて母を呼ぶ。母は出て来ても「ここは他人の家ですから」といい、お園の病気が治ったら合わせますからと戸を開けない。仕方なく宿に戻る。、明くる日から数回訪ねるが断られたが、或る日来客があって母が客を見送りに出た隙に、空いていた格子戸から中に入る。お園は吃驚するが、案外元気そうでにゃっと笑う。そこへ母が戻って来て大喧嘩となる。母は隣の兄さんに来てもらう。その兄さんが中に入り、隣の家で二人が逢うことが出来た。そして半年か一年待ってくれと言うのを聞いて引き上げる。その後秋江はお園の出ていた置屋の女将に逢い、秋江がお園を愛していた時、お園は別に絵描きの三野村という男を死ぬほど愛していたという事を聞き、傷心する。その絵男は死に、写真が仏壇に逢った着物姿の男だったと知る。『霜凍る宵)』

 

  この後の結末は『続霜凍る宵』にあるが、残念ながら見ることが出来なかったが、秋江は後に東京で女按摩と結婚していることからお園とは縁が切れたようである。

 それにしても秋江はこの私小説で、遊女一筋に綿々たる恋の道行きを、隠すことなく赤裸々に述べたことに、当時人々を驚かせた.。問題は、お園を抱えているお茶屋を通さずに、女に直接金を贈って借金の返済に当てるという秋江の素人考えが、廓の常識を外れていたことである。哀れな中年男性の嫉妬に狂うことは別に珍しいことでは無い。しかし大胆に委細小説にした秋江の度胸に驚くほかない。