今参局ーいままいるのつぼねー
この女の名を知っている人はかなりの歴史通です。今参局は室町幕府第四代、足利義政の乳母として室町邸に入り、義政が生まれた時から乳をやり、おむつを替えたり、身の回りを世話して来た。当然義政は自分の母とも思い、長ずるまで寝る時は添い寝をして育った。こうなると今参局は室町邸でも乳母として勢力をつけ、伺候の武士たちの一部が今参局に付き、邸内に派閥まで出来てしまった。
いよいよ義政が成人して正妻に日野富子を迎えることになった。当時の上級家庭では、新婚初夜の床入れは、乳母が指導し、教えることになっていた。義政の初めての性交を今参局が教えたのである。義政にとって30歳も年上の老練な女の手管に引きつけられてしまい、結婚後も富子と寝るよりは、今参局と床を同じようにすることが多くなった。
将軍は世継ぎの確保のために、義政も何人かの女を侍らしていた。あるいは正妻の富子と肌が合わずを敬遠してか、義政は富子の寝床に入るよりは、今参局の床を選んだ。そういうことが続くと、勝気な富子も黙っておれない。今参局の追い出しを図った。それも生かしておいては将来不安で、富子は武士に今参局を竹生島に隔離し、ひそかに暗殺を命ずる。
今参局は籠に乗せられ、逢坂山越えに大津に出て、小舟で竹生島に漕ぎ出で、島の手前で斬首され、遺体は湖に投げ込まれてしまった。
将軍家の格式を、義政への愛のあまり乗り越えてしまい、壁にぶつかってしまった悲劇の女の物語である。