瀬戸内海賛歌 | 閑話休題

 瀬戸内海賛歌

 瀬戸内海外洋ではなく、波静かな内海で、気候も温暖で、点在する島々の緑が美しく、ヨーロッパの地中海にも、世界にもない内海の多島海である。魚も種類が多く美味しい。昔から関西から四国・九州、中国・朝鮮を結ぶ海上交通の大動脈であった。もしヨーロッパにこのような美しい内海の多島海があれば、各国の富豪が保養・別荘地として、脚光を浴びて有名になっていたに違いない。それほど魅力ある景勝地帯である。

 

 この瀬戸内海は、今から10万年前以前のの氷河期には低地の陸地であった。下図の緑の部分が陸地である。東は室戸埼と紀伊枯木灘まで、西は足摺岬から宮崎まで、関門海峡ももなく、緑の森が点在する美しい陸地であった。今の尾道~今治間に架けたられた瀬戸内しまなみ海道の大橋の下が、東西を分ける分水嶺であった。川は東西に分かれ、西は大小の川の水を集めて足摺岬沖で海に入り、東は揖保・淀川・紀ノ川・吉野川の水を集めて紀伊水道の中央を流れ、紀伊半島で海に入っていた。

 氷河期には人々はおらず、マンモスなどの大型動物が餌を漁って生きていた。明石沖には大きな湖があって(後に海盆と呼ばれるー明石天文科学館に模型がある)、その水や獲物を求めて生き物たちが集まり、マンモスなどは沼に足をとられて死んでもいる(明石象)

 

 しかし8,000年前ごろから急に地球温暖化が始まり、氷河がとけて海水面が100mほど上昇し、南・東シナ海とともに瀬戸の内陸も海水が入り込んできて、内海になってしまった。下図で示した緑の地域は氷河期には陸地であり、8,000年前以降に海になった地域である。

 明石沖の底の深い湖は「海盆」となり、プランクトンも豊富で、明石沖で獲れる鯛は日本一の美味とされている。淡路島の南に小海盆があり、潮流が渦潮となっているが、ここの鯛も身がしまって逸品と言われている。

                        

 瀬戸内海は波は静かで航行には適しているために、大阪から西への海上交通が盛んになった。だが島々が多く点在し、地形が複雑なため、とくに難所の来島海峡辺りでは難破船が多かった。このため船を先導するパイロットが登場し、平安時代から海賊と呼ばれる集団が武士団として瀬戸内各地に出来た。朝鮮・シナに渡って略奪を繰り返した倭寇の本拠地であった。西の大内氏や足利義満も彼らを懐柔したが、最後に統率したのが平清盛で、彼は海外貿易で莫大な富を蓄えた。

 

 それにしても瀬戸内海は美しい。特に夕ぐれがすばららしい。瀬戸は夕ぐれて 夕波小波。鷲羽山あたりの宿から見下ろすと、瀬戸の島々や四国の山脈が黝ずんで来て、、瀬戸内の海は月光をあびて銀色の帯になり、航行している船はすぐに明かり灯す。夕闇が迫る海に、灯りをともした大小の船が東西に行き交う景色は、幻想的である。

 

 これほど景観に優れた内海は、世界広しと云えども何処にもなく、観光保養地としては最高の条件を具えている。バブル期に小開発が゛あったが、それも消えてしまった。未開発のままで自然資産として保存するのが、瀬戸内海の運命なのだろうか。