第1回


探索日 2024.06.01

公開日 2024.06.19

所在地   青森県五所川原市


最初の一歩、山へ

2024/6/1  7:10


あれから1時間ほど自転車で移動し、現在地は津軽鉄道嘉瀬駅である。

ここからは小田川支線の探索へと変わる。


小田川支線は金木町喜良市(きらいち)から小田川沿いを東に走る支線だ。

現在その多くは「小田川林道」として形を残している。赤線が小田川支線

分岐点となる喜良市までは自転車で30分ほど。

この喜良市にはかつて材木置き場があったとされる。

おそらくここだろうが案の定会社の敷地になっており、遺構は残ってなかった。



これが軌道跡である。金木側は帰りに探索するとして山側へ行こう。


ちょくちょく家があるものの、間違いなく軌道跡だ。


ここで小田川林道が始まる。

標柱も年季が入っており少し枕木に見えなくもない気もする、、



この道自体が軌道跡を利用してつくられたものであり、遺構は限りなく少ない。

道に沿って山の方まで行ってみる。


途中の道で何やら怪しげなものを見つけた。




廃レール橋!!!!!

どう見ても使われている雰囲気がない。

一歩足を踏み入れたら底が抜けて今にも落ちてしまいそうだ。

それがゆえに私も足を踏み入れられなかった。


このレールは林鉄でよく使われる9kgレール。

おそらく津軽林鉄が廃止された後、残ったレールを利用して橋を作ったのではないだろうか。

津軽林鉄は数ある林鉄の中でも長寿であり、廃止年が比較的最近であったため、他の林鉄のように廃止後すぐはがされレールを再利用する流れにならなかったのだろう。

これは想定外の嬉しい成果だ。他の方のブログ様なども確認してきたがこの橋については未記載であった。初掲載か!?


そんな橋に別れを告げて山に向かう。ばいばいレール橋。



    7:56



最初の橋に通りかかった。名盤には小田川1号橋と書かれてる。

この橋自体は小田川林道が整備された際につくられたものであり、林鉄のものではない。

では林鉄の跡はどこへ行ったのか。



それは




橋の下である。

仮称して「小田川第一橋梁」と呼ぼう。

小田川林道の橋は津軽林鉄で使われていた木造橋の上につくられたため、林道橋の下に小田川第一橋梁の橋脚が残っている。1世紀近くも前の木橋がよくのこっていると思う。

青森ヒバはそれほどまでに頑丈な木材なのだろう。

もはや大半の人には気づかれることもなく、ただその場所で余生を全うしている。


2号橋、4号橋、5号橋にも同じような遺構が残っていた。ただ一番形を保っているのは1号橋だろう。

次回から本格的に山登りである。


《続く》



ちょっとだけ!もりひろの宣伝。
五所川原立佞武多には忘れ去られた団体が存在した。そんな団体の復活に向けて起こしたアクションとは!?もりひろ最初のレポをとくとご覧あれ!!


JR五能線には幻の駅があったことをご存知だろうか。たった数年で勤めを終えた駅には一体何があるのだろうか?

初のミニレポシリーズである。


・津軽森林鉄道のレポを読んだ方なら分かるだろう。

写真のみが残された謎多き馬車鉄道。
それは我々が想像しているよりも奥の深いものであった。