#津川雅彦 氏の不誠実さ | 長谷川哲の言いたい放題

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日々思うがことを思うがままに書き連ねていくつもりです。

今月はじめ、安倍内閣にたいして対極的な姿勢の著名人が、相次いでなくなった。ひとりは、翁長雄志沖縄県知事、いまひとりは俳優の津川雅彦である。

このふたりの死を巡って、以下のような投稿をみた。

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すみるな@nod_master

津川雅彦さんの訃報。
翁長知事の訃報。
どちらも悲しい出来事。

でも、津川さんの方には「パヨク」が翁長さんの方には「ネトウヨ」が、心ない言葉を浴びせています。

「晩節を汚す」という言葉が飛び交ってますが、人生が終わった後にまで批難される事なのでしょうか?

静かにご冥福をお祈りします




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私は、全く同意できない。死んだらみんな神様仏様で、一切の批判が許されないなんて、おかしい。一私人ならいざ知らず、かたや政治家、かたや芸能人で、それなりの発信力をもった方々だったのだから。ヒトラーやスターリン、毛沢東らが、今現在もなお、死して久しいにも関わらず、その功罪が議論の俎上にのぼるように、死した今だからこそ、翁長さんも津川氏も、冷静に評価する必要があるように思う。

日本共産党の志位和夫委員長は、翁長知事に宛てた弔電(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-08-11/2018081101_04_1.html)のなかで、次のように述べている。

《「これからは保守は革新に敬意をもち、革新も保守に敬意をもち、力をあわせて基地のない沖縄をつくりましょう」。翁長知事のこの言葉が、深く心に残っています。》

言うまでもなく翁長雄志氏は、自民党沖縄県連の役員をされていた、保守の立場の政治家である。その翁長氏が、このような重い決断をし、「基地のない沖縄」へむけて、安倍自民党と決然とした対決を選択したことが、今の「野党共闘」へとつながっている。「基地」を「安倍内閣」と読み換えれば、まさに野党共闘の到達点そのものではないだろうか?

他方、津川雅彦の晩年は、「変節者」「晩節を汚した」としか表現できないものである。

津川の叔母にあたる女優の沢村貞子さんは、戦前、治安維持法違反で投獄された方だし、戦後も、しばしば戦争の悲惨さを訴えて、日本共産党の機関紙「赤旗」のインタビューにも応じている。津川自身も、「赤旗」のインタビュー記事で何度も取り上げられていた。

だから、晩年、津川が「そこまで言って委員会」等で、左翼やリベラルにたいして、あらん限りの悪口雑言を撒き散らしたのには、唖然、呆然、天地がひっくりかえるほどに、私は驚いたのである。

最近、元文科省の官僚だった方が「面従腹背」という言葉を好んで使っているが、私は大嫌いな言葉である。表面的には従うフリをして、裏では反旗をひるがえす……それは、日本共産党中央委員会の方針に従うフリをして、裏でソ連共産党と繋がっていた野坂参三や、表面的には自己批判を雑誌「前衛」に書きながら、離党した途端に真逆なことを言い出した、筆坂秀世みたいな連中を評するに最も適した言葉だからだ。

津川が、実は晩年に吐露した罵詈雑言のような考え方を隠して僅かな謝礼のために、「赤旗」で心にもない言葉を吐露していたとすれば、その面従腹背ぶりは、「赤旗」読者と、取材にあたった記者を侮辱冒涜するもので失礼極まりない。氏の人格すら疑いたくなる。

晩年の罵詈雑言が、変節によるものならば、「晩節を汚した」「変節者」という批判を、津川は死して尚、甘受しなければならない…と私は考える。

安倍第一次政権が、民主党への政権交代ののち、やしきたかじん氏や維新のメンバーとともに安倍氏を励ましたのが津川であり、その死に際して、安倍氏が「(第1次政権で自身が)総理を辞職した後、本当に津川さんには温かく励ましていただき、背中を押し続けていただいた。改めて感謝申し上げたい」(https://www.sankei.com/smp/politics/news/180808/plt1808080008-s1.html
より)と、特別な謝意を表明しているのだ。現在に続く、第二次安倍暴走政権を生み出した「立役者」が、まさに津川雅彦、その人である。

津川が昔日、比較的まともな発言をしているのを「赤旗」で読み、好もしい印象を持っていた時期もある私と同年代や上の世代からすれば、津川の変節・転落は見るに忍びなかった。

とてもではないが、「静かに冥福を祈る」気分になど、なれない。