※去年の投稿の再投稿です。現在TVを観ておりません。

最近反日極左カルトBSーTBSで邪馬台国ネタもやっていないし、反日左翼古代史批判からかなり遠ざかっていた時に偶然書店で衝撃の反日古代史本を見つけてしまったので、久しぶりにリハビリも兼ねて古代史ネタです。

 

衝撃の左翼邪馬台国本

物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国は太宰府にあった

ギャグか?という内容。実は当然ながら立ち読みで済まし、買っていない為にどこまでネタバレしても良いものか知らないが、基本は卑弥呼も大和朝廷も元は華僑みたいな物という、中国人が泣いて喜ぶ内容になっている。タイトルで書いているので良いと思うが、とにかく中国様から何もかもやって来たらしい。

 

本書は、「真理の整合性」から事実を追究する科学的手法に乗っ取り、現役の物理学者が邪馬台国の位置、卑弥呼とは誰なのかなどの日本古代史の謎に挑む。1700年を経て初めて明かされる歴史学界、最大のミステリー!

 

この紹介文でも判る通り、邪馬台国本で重要な事は「ここだ」とか「決定」とか言った断定口調と、著者の「肩書」。その肩書は考古学とか学者だとかじゃなくて、一般民に近い肩書の方が尊ばれるという事。それは学者はバカと連呼する事で喝采を浴びる手法が広く文化人に浸透した事による。この本の場合は文系では無く理系という事になっているのがミソであろう。世の中全部理系の化学で動いているのだから、なんとなく科学者が言う方が真実味がありそうという物。しかし実態は旧来的左翼古代史となんら変わらない。

 

衝撃の反日左翼邪馬台国本②

マンガ家が解く古代史ミステリー 邪馬台国は隠された <改訂版>

この本の衝撃的な所は改訂版が今年2022年に出たという事。自分が今一番正しいと思っている長浜氏の関連本が出てから数年、もはや過去の卑弥呼邪馬台国論は埃を被った物になったのだろうと思っていた時、ふと本屋で見かけてまさに衝撃を受けた。これも本屋の立ち読みで済ませたのだが、一部マンガで解説されている部分(と言っても井沢某の作品マンガ版と同じく、作者ぽい人物がアシスタントの女の人に語り掛けて自説がさも正しい様に同意させる手法。本来的な論考の部分は字で書いている。)があり、とても親しみやすく導入しやすい本となっている。しかもこの本の巧妙な所は先に掲げた長浜氏に代表される記紀を重要視する最近の保守派的な古代史論を最初は展開して行く点にある。え?だったら良いのじゃないの?と思われるかもしれないが、突如後半に怒涛の恐ろしく左翼的なドンデン返しが起こり、これもネタバレ的になるかもしれないが、過去の左翼王朝交代説を焼き直しした結論となる。例えば最初凄く面白い映画を観ていて最後の最後に妙な結末を観せられて、なんだかなーとなる正にそんな感じの本。結論的に紛れも無くこれは左翼古代史に属する。

 

まさに左翼古代史勢力が生き残りをかけた巧妙な保守偽装本である。

 

邪馬台国はどこにあったのか?
日本という国はどうやってできたのか?
目からうろこが落ちるような
真実のニッポンが見えてくる!

【推薦】日本漫画家協会理事長
里中満智子
ヤマタイ国の実像に独自の解釈で迫るあおきてつお説は、10年後にはメインの解釈になっているかも。
そう予感させる説をぜひ知ってほしい。

(注)この書籍はマンガ作品ではありません。

 

↑これが紹介文であるが、重要な事には左翼古代史の里中満智子が宣伝文を書いている事だろう。結局里中も王朝交代説を容認する人物だったという事か。それでやたら反日極左カルトの古代史番組に出れるという訳だ。

 

ちょっと立ち読みで済ませた為に(絶対に買いたくない)もう忘れて来ている部分があるが、たしか両書ともに邪馬台国東遷説もしくはそれに類する年代の大和朝廷の政治的変動(応神天皇の王朝交代的な)を記した内容だったと思う。そうした説の多くが基本的に過去の騎馬民族征服説から端を発する王朝交代説のバリエーション変えであり、基本的には左翼古代史に属すると自分は考える。しかし最初の部分では最近の保守派的な論理で進められている為に「ころっと騙されて」後半の左翼結末まで鵜呑みにしてしまう人が出てくるかもしれない。

 

 

卑弥呼は誰でも良い、邪馬台国はどこでも良い。大和朝廷とは何の関係も無い。

ここからは自分の邪馬台国に対する考えだけど、↑に書いた通り自分は卑弥呼や邪馬台国に対して特に強い主張があったり持論があったりする訳でも何も無い。度々このブログで書いているが、素人なのでわからないというのが持論になる。むしろ科学的に考えた場合、断定する事は真摯な態度では無いと思っている。

 

こうした考えを持っていた所、非常にナイスな本を発見してしまった。

 

邪馬台国は存在しなかった 田中英道氏著

 

まさに我が意を得たりという内容である。この本は徹底的に邪馬台国の卑弥呼は魏志倭人伝の作り出したフィクションであり、戦後左翼古代史が卑弥呼の正体探しに狂奔する様は、戦後左翼が古事記日本書紀を否定し、自国の文化を否定し、ひいては天皇と皇室の存在を貶め皇室を否定する為の行動だと批判する。まさに自分が思っていた事と同じである。

ちなみにこの「存在しなかった」というのは有名な「邪馬台国」はなかったのパロディだろうが、その為に単なる珍本奇本と誤解されそうだが、その様な事は無い立派な内容となっている。この説を若干柔らかくした説を八幡和郎がさらに過去に書いていた気がする。

 

重要な事は日本人は古事記日本書紀という書物があるのに、戦後日本はそれらを蔑ろにし過ぎであろうという点だと思う。

しかしこの本にも問題点はある。確かに魏志倭人伝を重要視し過ぎる事は間違いだが、魏志倭人伝が当時の日本のごく一部だけでも表現していた可能性はあるという事だろう。何でもかんでも卑弥呼だ、天照も卑弥呼だと言うのには辟易とするが、魏志倭人伝が表現した地域はどこか?程度は探しても罰は当たらないだろう。それとこの著者はユダヤ人埴輪があったとか不思議な本も書いているので、良いと言っているのはこの本限定の内容である。

 

 

これらの情報を踏まえた上でお勧めしたい、反日左翼マスコミ勢力が必死に隠す邪馬台国良書、それが先に画像を貼った、「邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争」若井敏明氏著となる。

 

この本の内容は先に挙げた長浜氏の一連の本や八幡和郎の様に、古事記日本書紀を重要視する新しい一連の古代史となっている。重要な点は邪馬台国と大和朝廷は全くの無関係で、邪馬台国が東遷して大和朝廷になったという様な物では全く無い。

 

実はそこが重要で、中国様が邪馬台国が倭の女王の住む場所と言ったのだから、日本で一番大きい遺跡が発見されたらそこが邪馬台国だ、吉野ヶ里が出ればそこが邪馬台国、纏向が出れば邪馬台国というのが如何に短絡的な考えであるかが最初の方に書かれている。

 

この本には古さ故伊都国の王族の祖先は渡来人みたいな事が堂々と書かれているが、2010年という年代を考えれば仕方の無い部分と言える。こうした部分は長浜氏の著作と合わせて考えれば無理なくストンと落ちてくる部分だ。

 

 

最後に素人の自分の考えを

 

よく世の中には学者はバカバカ連呼する人が多いが、自分は学者や専門家よりも圧倒的に知識が少ない素人である

 

その前提の上で自分の考えを書けば、邪馬台国と大和朝廷は一切何の関わりも関係も無く、それぞれが独自に発展した地域王権であると思っている。これだけだと長浜氏や若井敏明氏の考えと同じなのだが、自分は大和朝廷の発端から九州とは何の関わりも無く、唐古鍵遺跡に代表される様な大和盆地から始まった王権だと考えている。それらが順当に発展を続け、崇神天皇の四道将軍に代表される様な征服戦争を経て、ついにはそれが全国を統一する唯一の朝廷になったと信じている。その部分は若井氏の本に書かれている通りとなる。その中で邪馬台国が滅びた後の後継者達も征服したかもしれない。しかし大和朝廷と邪馬台国は何の関係も関わりも無い。

 

よく鉄の矢じりが邪馬台国時代に九州で圧倒的に発掘されるのに対して近畿ではそれが少なく、逆に古墳時代に近畿で古墳が激増する事をもってしてそれが邪馬台国の東遷の証だ等と言う者が少なくないが、それはまさしく左翼的レトリックである。そもそも矢じりと古墳では判断基準が異なっており、異なる判断基準を比較してそれが証拠だ等と言う事はおかしい。矢じりだけなら矢じりだけ、古墳だけなら古墳だけをもってして判断基準とするべきで、古墳だけを判断基準とするなら、若井氏の本にある通り、大和朝廷の拡張にともなって、近畿から始まった古墳形式が果てには北部九州等に広がって行く様子は、大和政権が版図を広げた事を意味する。そこにドラマチック性は低いが、九州北部の各王国が次々に朝廷に降って行く様子こそ想像できるが、邪馬台国が東遷して大和朝廷になったという様な事には全く繋がらない。

 

それは纏向遺跡から発掘される土器にも繋がっていて、纏向では全国の土器が集められていると言いながらも九州の土器はごく一部で最後に少し増える程度となっている。つまり本当に九州の政治勢力が纏向の都市を作ったとか移転して来たと言うなら、それは辻褄が合わない事になる。少なくとも突如九州的な遺物が激増してなければおかしい。逆に言えば当初纏向遺跡=第10第崇神天皇の宮には九州的遺物が少なく最後に少し増える事は、崇神天皇の四道将軍の征服や景行天皇仲哀天皇の九州征服の物語を正確にトレースしている事になる。それらの事実を日本書紀は天皇に都合の良い事が書かれているだけのいい加減な嘘ばかりの書だの一点張りで否定するのが左翼古代史なのに、記紀を尊重すると言いながら結論の部分で結局左翼古代史に先祖返りする者は理解に苦しむ。

 

また邪馬台国の時代前後に九州から戦乱を伴って近畿地方まで勢力が移動したという様な発掘の証拠も無い。やはり邪馬台国東遷説は無理がある。

 

追記11月9日 

上の文章は何かを読んでうろ覚えで書いた物だが、出典と思われる「邪馬台国はここにある長浜浩明氏著」を改めて見た所、p42に「じつは、纏向からは九州の遺物はほとんどといっていいくらいでてないんです」~「北部九州の勢力が畿内に攻め込んできて都をつくったという考えもあるようですが、私の専門である武器から見て見ても、それはないと思います」とあり記憶が正しかった事がわかった。これは単なる長浜氏の主張では無く専門家の証言である。

 

もし仮に仰々しく「長浜氏の著作を評価する」等と言いながらも、重要な主張の点でこうした専門家の証言を無視して確たる証拠や論証も無く、全く逆の「邪馬台国東遷説」の主張を行う者がいたならば、それはTBSやテレビ朝日と同様の左翼主張をごり押しする事が目的の偏向姿勢と断じなければいけない。

 

ましてその理由が「学者は偏っている」「一見無理筋とも言える主張が時には正しい事もある」的ななんだか良く分からない精神論一点張りの場合、その者はやはり自身が批判する頑迷なる学者と同レベルの偏向者と言われても仕方が無い。

 

過去の左翼古代史が実証主義を無視して渡来人優越史観や弥生人渡来人説を吹聴した・・・。その事を批判する事自体は正しいが、それを批判した者が舌の根も乾かぬ内にいきなり実証主義を無視して邪馬台国が東遷して纏向になったとか言い出したら、理解に苦しむ程にミイラ取りがミイラになっている。

追記終わり。天岩戸と若井氏がごっちゃになり、岩井氏と書いていた部分を訂正した。

 

神武天皇は存在し、皇紀2600年も信じる。しかし・・・

 

それら邪馬台国東遷説の唯一の強みは神武東征を錦の御旗にしている点にある。中国史書が卑弥呼邪馬台国などと侮辱する文字を使用して表現したいち地方王権を大和朝廷の始まり等と不敬な事を書いても許される所以は一重に神武東征を後ろ盾にしている事にある。

 

ここで反日左翼だ!と思われても仕方が無い事を書くが、自分は唐古鍵等純粋に大和盆地から発展した王権が大和朝廷になったと書いた通り、神武天皇の実在は強く信じるし、皇紀も信じるが神武東征については「神話の物語」であると考えている。何故なら過去に引用した様に倭王武、雄略天皇の上奏文に明らかに日本の中央から国が興ったと書かれている。そして現在までの発掘の成果を観れば神武東征があったとは考えにくい。

では何故朝廷は神武東征があったと記したかと言えば、朝廷は征服した地方の文化を尊重し、最後に朝廷に組み込まれた国々の神話や伝承を組み込む事で国家の一体感を強調したかった為と思われる。また天孫降臨の物語は外国で生み出された類型の継承であり、天孫降臨の類型を国家の神話に組み入れる時に、入念に考え候補地としたのが九州なのはやはり国家の一体感を演出する為と思われる。決して邪馬台国が東征してきた為では無いだろう。この点は若井氏の本とも違う自分の考えとなる。

とは言え、九州から畿内への遠征や婿入り等は否定するが何次にも渡って人物文物の流入はあったろうから、そうした長きに渡る交流の歴史を神話化した物が実際の神武天皇に仮託された東征神話ではないかと思っている。

 

特に一部に九州の地名が大和の地名に似た物が多いのは邪馬台国が東遷した結果だと言う者が多いが、これには全く逆の考えがある。それは大和朝廷が日本を統一した時に、記念的に大和の地名を九州に移転した物であるからだろう。全国各地に天岩戸があるのは実際にはそうした神話が後から作られた証拠とも言える。その中でも朝廷が官製の神話として成立させたのが九州への降臨という事だろう。そうして後々作られた神話だからこそ、皇室が神武天皇陵のご参拝は積極的になされるが、九州の高千穂に積極的に参られるかと言えばそうでも無い理由だろう。それは神武天皇が継体天皇の時代から祖先の偉大な大王として崇拝されていたのに対して、天孫降臨や東征が記紀がまとめられた時に壬申の乱の戦いや継体天皇の大和入りの物語を参考に創造された神話だからだと推測する。

 

卑弥呼は天照大神では無いし日食で殺されてもいない!

 

卑弥呼は日食で殺された等というトンチンカンな説をまことしやかに吹聴する者がいる。しかもそれが天照の岩戸神話に繋がったと。しかしそれは完全に間違いだと断言出来る。何故なら天照大神は古代には男神であり、それがある時期を境に女神に変更された事による。もともと男神だったのだからそれが女性である卑弥呼と混同される訳も無い。太陽を祭る巫女だったというのも間違いだろう。卑弥呼は鬼道と書いてあり鬼道の鬼とは霊、つまり現在の日本にもつながる祖霊崇拝・祖先崇拝である。古代人はそもそも天照と卑弥呼など同一視しておらず、ましてそれが天岩戸神話に繋がったという事も無い。そしてそうした説を吹聴し始めたのは皇室を軽視していた江戸時代という事も重要だ。記紀を記した人々は現在になって天照大神と卑弥呼を同一視する論調が存在する事に思いもよらず驚愕するだろう。日本書紀を書いた人々は参考文献で中国史書を読んだ時に卑弥呼の存在を知ってぎょっとしたのではないか。

ついでに天照と関係の無い卑弥呼自体も日食で殺されたりしていないと思われる。よくよく考えても日食論者の言う様に古代に度々日食が起こっているらしいが、そのどれもが極めて限定的な地域でしか目撃されておらず、それが王を殺害するという激烈な事態を引き超す理由としては薄い。日食論者は北部九州で日食が起こり卑弥呼が殺害されたと言うが、よくよく見るとそうした者の邪馬台国存在位置が日食目撃地域とズレて居たりするのはご愛嬌と言える。卑弥呼の邪馬台国は山門と言いながら、日食自体は北部九州をかすめる程度であったりするのは筋が通らない。日食で卑弥呼が殺害される為には、卑弥呼が乱暴者達の目の前に一人で居て、そうした乱暴者に日食が目撃されてそれが直後に殺害に繋がるという極めて限定的なシチュエーションが必要になるが、大きな屋敷に多くの人々に守られて住んでいた卑弥呼が突然引きずり出されて殺されるとはどういう状況なのか?真面目に考えている論とは思えない。

卑弥呼とは複数の国の争乱を鎮める為に名目的に作られた存在であろう。それが直接的に日食とは政治的権威の源に繋がらない以上、参加国の王達が日食だ即殺せと一致してなるとは到底思えず、日食で卑弥呼が殺された等と吹聴する者は、邪馬台国という物がせいぜい川口博探検隊が探し出す様な未開な部族程度にしか考えてない証拠だと思える。それは日本人に対する根本的な差別だろう。卑弥呼の死因は狗奴国との戦争中の気苦労による物か老衰であろう。

 

歴史の真実とは大してドラマチックな事は少ない物である事が多い。

 

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