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遺伝子的に完全否定されている「日ユ同祖論」

以前より過去の日本の「騎馬民族征服説」批判で度々引用している「歴史通この一冊で韓国問題丸わかりPart.2」2015年9月増刊の中のDNAと遺跡からわかった韓国人の素性(長浜浩明氏)という記事にこのような箇所があります。

P248~
日本列島ではかなりの頻度で存在しているが、その周辺ではほとんど見つからない遺伝子が存在することは、三○○○年以降という、人類進化の時間では最近に属する頃に、縄文時代の人々から弥生時代の人々に置換したという考えを否定するものだ。
(中略)※ブログ管理者による略
結局、この突然変異(ハプログループD 引用者注)は、もっとずっと古い時代、おそらく縄文時代かそれ以前に出現したと考えたほうが良いのである>(傍線、引用者)
※ややこしいですが、遺伝子学者斉藤成也氏「DNAから見た日本人」を上記著者が引用したという文章です。

ここでは何を言っているかと言えば、命題である「日本は朝鮮人が征服した」みたいな過去の俗論を否定する傍証として、ハプログループという物に着目し、そしてその中でも「ハプログループD」という特殊な遺伝情報は日本周辺では日本特有であり、そしてその突然変異は少なくとも3000年前以前に起こった大昔の出来事であるという事。

それを踏まえて「日ユ同祖論証拠、遺伝子編」を見てみます。

例えば学研月刊ムー2014年10月号「秦氏がもたらした古代東方キリスト教の秘密 聖徳太子と失われたイスラエル10支族の謎」(※出雲王朝の復活!記事の前号)の中のP34第5章 遺伝子が明かす真実!聖徳太子はエフライム族の末裔だった!? 内から

このようにユダヤ人は、日本人のD系統と近縁同祖のE系統を顕著に有した民族だ。「ファミリー・ツリーDNA」(DNA検査を一般に提供している団体)によれば、E系統(とくにE1b1b1というタイプ)は、「世界中のあらゆるユダヤ人の間にみられ、アシュケナージ系、スファラディ系、またクルド系やイェメン系のユダヤ人、またサマリア人、さらには北アフリカ・チュニジアのジェルバ島のユダヤ人にさえ見られる」という。

もうこの時点で、え?ユダヤ人と日本人が「同じ系統」じゃなくて、「近縁程度」で同祖とか言うの!?と突っ込む人もいるかもしれない。

さらにP、36

(省略、中国韓国に多いO系統解説)縄文時代(約2000年前)までの日本に、O系統は入っていなかったことがわかっている。 つまり、それまでの日本人の多くはD系統だったのだ。先に日本列島にD系統の民族が入り、あとでO系統の民族が加わったわけだから、紀元前にすでに日本列島に入っていたと思われる天皇家や、中臣氏、物部氏などの神道系古代豪族は、D系統だったろう。 当然、天皇家のY染色体を受け継ぐ聖徳太子も、D系統だった。また秦氏は紀元後に渡来した人々だが、やはりD系統だったであろう。

で、ここでwikipediaを見てみると、

日本人とユダヤ人のY染色体

Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法(YCC2002)によるAからRまでの18種の大分類(Y染色体ハプログループ)のうち、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはハプログループDとハプログループEのみであり、D系統とE系統はおよそ6万年前に分化した近縁グループである。そのうち、ハプログループDが相当な頻度で存在するのは日本とチベットのみである(日本で30~40%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットでは約30~50%)。

他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカ大陸であり、その他に地中海沿いの中東からイタリア南端に低頻度見られるのみである。つまり、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を持つ者が一定頻度で存在する地域は、アフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてとチベットと日本のみであり、日本人のY染色体の30~40%については、DNA塩基配列が近縁関係にあるものは周辺国等にほとんどなく、チベットやアンダマン諸島、アフリカ、中東のY染色体と近縁関係にある。なお北アフリカでのEグループの存在率は約75%、エチオピアのユダヤ人とされる集団でのEグループの存在率は約50%とされている(崎谷『DNAが解き明かす日本人の系譜』勉誠出版)。


しかしながら、アシュケナージユダヤ人やコーヘンラインと呼ばれるユダヤ人などの大多数のユダヤ人や、中東、古代オリエントなどに多いY染色体はEグループではなく、Jグループの方が圧倒的に多数である。次点で全コーカソイド系共通のハプログループRも中頻度に見られ、ほとんどのユダヤ人においてハプログループEは低頻度に過ぎない。J1を持つアシュケナージユダヤ人は15~20%、J1を持つコーヘンの系譜のユダヤ人は45%とされる。
Jグループは大陸を通じ日本列島近辺に来ていた形跡が伺えるが、現在において、日本人に対するY染色体の調査でJグループに属する人は見つかっておらず、Jに比較的近縁な日本の系統はDよりも中国大陸や朝鮮半島とも共通のハプログループOである。
詳細は「Y染色体ハプログループ#系統樹」を参照

上述の通りハプログループDとハプログループEは6万年以上も前に別れているため、日本人やユダヤ人などの概念が誕生する遥か前に関係が絶たれており、数千年前という比較的近い過去の歴史において、日本人とユダヤ人が同一の祖先をもつ可能性は無い。
更にはDとEよりも大陸渡来系のハプログループOとコーカソイド系のハプログループRは4万年程前に共通祖先を持っており、大多数のユダヤ系で支配的なJとも5万年程前に共通祖先がいるため、これに従うと亜欧同祖や亜ユ同祖の方が日ユ同祖よりも近いということになる。

以上のことから、日ユ同祖論は遺伝子学的には完全に否定されている。(アフリカ単一起源説に基づく長い歴史で見た場合はその限りでない)


とあり、3000年よりはるか以前、約6万年も前に分化したと書かれてあり、日ユ同祖論とは全く関係が無い。それどころか、E系統はアフリカ等に多いとあり、本来のユダヤ人では少数派ですらあると書かれてある。

つまりやはり遺伝子的には日ユ同祖論は完全否定されている。


ついでに最初の引用にあるように、父から息子に受け継がれるY染色体D系統が東アジアで日本(人口の30%~40%)のみ残っているという事は、所謂過去の「朝鮮人征服説」も完全に否定されているという事。
(※日本はO系統が約50%、D系統が40%なのに、中国韓国にD系統がごく少数という事は、長年の中国朝鮮系のO系統渡来<この名称自体が誤解を生む>が日本最初期原住民に近いD系統を駆逐した訳でも何でも無いという事。さらにO系統は東アジア各地に色々なタイプに分化して万遍なく存在して、現代的観念で言う中国人や朝鮮人が統一的に征服してきた…のような説とは相容れない
※↑こうした時代に比べて、百済や任那建国がどれだけ後の時代の出来事か考えれば判る。


wikipedia弥生時代
弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。

弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まったとされる。しかし、1994年、縄文末期に属する岡山県総社市の南溝手遺跡(みなみみぞていせき)の土器片中からプラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が発見され、さらに同県真庭市美甘(みかも)姫笹原の4500年前の土器にもプラントオパールが発見され、2005年には岡山県児島郡灘崎町の縄文時代前期(約6000年前)の地層から大量のプラントオパールが見つかり、少なくとも約3500年前からすでに陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が数多く発表され[1][2][3][4]、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたともいわれ、現在では稲作開始時期自体が確定できない状態である。また、縄文式土器から弥生式土器の移行をもって弥生時代への移行とすることもあるが、特に東日本では弥生式土器と縄文式土器の区分も不明確であり、編年の基準としては使いがたい。


↑この弥生時代のwiki解説からも、「日本民族の成立期」「弥生時代」「O系統の渡来」「稲作開始」「皇室のはじまり」等々をごっちゃにする過去の歴史観は間違いであると感じる。
→関連 「日本民族成立期タイムスケール混乱型」「新モンゴロイド流入、朝鮮渡来人混同型」「弥生人支配層全員渡来人型」

ついでに日本国と皇室が始まって、はるか後に来た「秦氏」が何で日ユ同祖論の証拠になるんだ??秦氏による「キリスト教文化だ」なるものが仮に存在したとして、それは国際国家日本に数多くある「単なる渡来文化のひとつ」では?つまり「コンペイトウ」や「カステラ」と同じ物では??何回も同じフレーズ書くけど、背広着ててもイギリス人と同祖では無いのと同じ要領。

※今回の月刊ムー引用記事は、記事著者(久保有政氏)により単行本化される予定と書かれてありますが、そちらは一切読んでいません。今回記事は全て雑誌掲載時の内容に即した物です。)

 

 

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日本書紀、雄略天皇の項「秦のうずまさ」に太秦地名由来が書かれている。そこに皇室と秦氏が同祖であるような記述は無い。