昨日、芸術劇場の稽古場に行き、岸田國士の「動員挿話」の稽古を見に行き、終わってから代表、演出者の小林さん達と門前仲町の居酒屋で話した。
小林さんは九十近いお歳だが、僕が尊敬してやまないフランスの`テアトル・ソレイユ(太陽劇団)´の主宰者であり、女性演出家で映画監督でもあり、テレビのデュレクターでもあるアリアーヌ・ムヌィシキン(今も健在ならば一番話してみたい女性だ)の話が出来た。全く思いがけないことだった。
彼はフランスに行ってモリエールのことを調べようと思って色々な人に取材したら『ムヌィシキンに聞け』と言われたらしい。僕のまわりには残念ながら彼女のたぐいまれな感性、才能の事を話せる人はいない。

数十年前に岩波ホールで見たムヌィシキンが撮った映画、上映時間6時間半の「モリエール」は素晴らしかった。

小林さんに杜江良の芸名の由来を話した。

“木と土と水(江)があれば良しとすべし”

しかし…それさえあればことと足れり…という事さえ危うくなっていく…

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『東日本大震災・考』(ゆらぎ)

テレビで国会中継を見ていると、地震予知の警報のテロップが映り、数秒して揺れが来た。国会議員達も腰を浮かし、文字通り浮き足だった風景が映った。それが先ず僕にとって、忘れることのない今度の東日本大震災の印象風景であった。東北の方で大きな地震が起こったことはわかったが、テレビでもまだ全容を掴んでいないようだった。やがて津波 が沿岸をおそった頃から、どうやらただごとではない事態が発生しているらしいことがわかった。その映像が写しだされるようになってから、頻繁に地震警報が鳴り出し、東北だけでなく、このまま関東、東海地震でも起こりはしないかと不安になった人もいるかもしれない。たぶん東北沖のプレートで起こったひずみが作用して、そのひずみ応力を地殻が解放しようとしたのだろう。いずれにしても関東、東海もそう遠くはない時期に起こりうるだろう。
震災から二ヶ月以上たった今、未だに被災者、避難者の方達は先の見えない、不安定な状態にある。今、振り返ってみると色々な様相が見える。
珍しく報道もフォローしているが、おそらく原発事故がなければここまでは追ってこなかっただろう。
それにつけても、政府の対応の遅さ、まずさには呆れてしまう。民主党に政権が移って少しは政治の様変わりがあるのかと思っていたが、まるでリーダーシップがとれていない。平時でない時だからこそ、残念ながらそれが余計にハッキリと露呈してしまう。テレビで見たあの国会中継の映像はある意味では象徴的なゆらぎの風景であったのかもしれない。マスコミで、あるいは政治家達も
風評被害、風評被害と他人事のように言っているが、枝野官房長官の発言を初めに聞いた時に、バカな言い方をするものだ、これじゃ100%間違いなく風評被害がでるぞ、と思っていたが全くその通りになった。そういうことに考えが至らないのが不思議だ。原発の処置の仕方についても、誰がどの様に指揮を取っているのか見えない。当初のヘリコプターで水を撒く映像など見たときは、思わずテレビに向かってバカ!!と言ってしまいそうになり、あきれ返ってしまった。更にトレンチの水漏れを防ぐ為にセメントや高分子ポリマー等を使うやり方を考えた連中は、ド素人ではないかと思ってしまって、本当に専門家が関わっているのだろうか!?そんな人たちに任せて大丈夫かいな、と不安になったがその事は未だに変わらず感じている。
専門家と称して色々な学者達がテレビに登場したが、机上論、しかも専門は原子力に限った人達より土木、建築のプロをチームに入れて実務的且つ効率的な対処が出来るプロジェクトを組むべきだと思ったが、未だに場当たり的な処理をしているようだ。
都市部ではバカな買い占めが起こったりしたが、あれを見ると、浅ましいというか、愚かしく嘆かわしいと思ってしまう。片方では義援金だの支援だのと言っておきながら、また片方では自分さえ良ければという行動をとる。そういう人達は、家が壊れたり流されたりしてしまう様な災害が起こった時に、パンやカップヌードルやらレトルト食品やら乳製品やらを山ほど抱えて逃げようとでも思っているのだろうか?最近、阪神の震災後にそうであったように防災用品が売れてるらしいが、都合良く、そういう物が身近にあった時にあるいは、持ち歩いている時に災害が起きる訳でもあるまいに…先日、松島とも子がラジオで母親のことを語って、彼女は、『あの戦争を体験した女は肝が据わっていますよ、何もなくても動じません』と言っていたが、それは分かる気がする。きっと想像力の豊かな人であったろうと思う。
現代人に欠けているのは想像力であると思う。
相変わらず、原発の情報は小出しに出てきてーつまり都合の悪いことは出来るだけ先送りする体質は変わらずー今起きている深刻な事態をまるで他人事のように話す人達を見ていると、数字の上で死者、行方不明者が3万人以上であるという、この現実を本当に`人の身になって考えることが出来るのだろうか?日本人は…またそれは己れ自身に突きつけられるのだろうか…



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西河原公民館のイベントとしての公演で(会場は他の団体の出入りも含め、集中のしにくい条件ではあったが)今回トリゴーリン。で出演することで以前読んだり、芝居を見たりした時の「かもめ」と亦違う感じかたでチェーホフを考えることが出来た気がしました。

とりあえず、一段落したので、4月のアドバンスプロモーションの公演の3つの台本を読み返して、書きかけの脚本も書いてみようと思っているところです。