ミルククラウン・オン・ソーネチカ 自分なりの解釈 | すずのブログ

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ミルククラウン・オン・ソーネチカという曲を自分なりに解釈してみました。


はじめは、小説、罪と罰を曲にしたものかなと思ったのですが、どうやら少し違うようです。しかし、この曲と罪と罰は、確実に関係があると思われます。

あくまでも自分なりの解釈なので多少変なところがあると思いますが許してください。


まず歌詞からどのような意味が含まれているのか見ていきます


だって笑われてるから 笑ってみたけど 怒らせちゃうのなんで?
いつも妄想するほどうまくいかなくて 「ごめんなさい」ってなんで?
ママに見せられないような くしゃくしゃ頭に 許してくださいって
踏んだ方もそれなり心が痛いとか 言ってたの、嘘ですか

出来ないそんな才能は無い 出来ないそんな才能も無い
出来ないそんな才能なんて どこのお店でも売ってくれないし
天にまします 神さまだって こんなガラクタ御手汚しですか
わたしだけが知ってる刹那に生まれた 小っちゃな戴冠式
ねぇ 凛とすましてるお姫様にでも 取って代わらせて
ソーニャ ソーニャ


だって嘘ばかり tiny tiny 世界に罪とか
放り出したって それを恨んだって 咎めなんかして 損に得に?
愛を説いて 満足気な 教科書の慣用句
禁じてください 間違いでしたって


待って どうしてこんなにみじめな態度で許しを乞うのかって
これがびっくりするほど馬鹿馬鹿しいので 立ち尽くして泣いて
ちょっと膨れて育った自意識まかせに 斜めに構えてみちゃって
空とか仰いでみたけど カラスが芸術的に台無しにした


堂に入った たぬき寝入りで やりすごして 石になって息が止まった
背中に指を指されてる感覚 申し訳ないです 消えちゃいたい!


上手に笑うための方法をこそ、教えて?
汚く濁った願望 取り繕って罪悪隠した


掃いて捨てるほどありふれた 無垢な感情の
何をもってして 浄・不浄だって 振りかざしちゃって
清廉ぶってないで 解をください シスター!
どうかひとつ 平等に見逃してください 石ころ蹴ったって


出来損なった愛玩具 色も塗ってくれなかった
膝を折って耐えていたって 助けてもくれなかった!
あんまりじゃないですか 1人ずれてないですか そうですか
持たざる者が懺悔したって 知らんぷりですか


だって嘘ばかり tiny tiny 世界に罪とか
放り出したって それを恨んだって 咎めなんかして 損に得に?
愛の教典 ちんぷんかんぷん 聖人の名文句を
「大げさ」ってつぶやいて 簡単なことでしたって
色づいてく花が 今日、微笑んだって


自分なりの歌詞の解釈


集団でからかわれて自分は笑われているから笑いかえしてみたけど、相手にはそれが気に食わなくて怒らせてしまった。
妄想では自分は相手にいい返したりしてみるけど、現実ではそんなうまくいかない。

結局自分がいつも謝る「ごめんなさい」と。

そこで少し喧嘩になり、髪の毛がくしゃくしゃになり、その姿で許してくださいって言った。

相手はこの喧嘩の前に「踏んだ方もそれなりに心がいたい」とかいっていた。つまり、無理やり他者に強要されて、相手は自分を踏んだ。

髪の毛がくしゃくしゃになったのは相手に踏まれたから。でもこのセリフが嘘のように思いっきり踏まれた。

だから心の中で問いかけた。この前ああいっていたのはうそですか。と。



「出来ないそんな才能は無い 出来ないそんな才能も無い 出来ないそんな才能なんて」

この歌詞は区切り方によって二通り意味を解釈できる。

1.「出来ないそんな才能は、ない」で区切ると、出来ないことはない、と意味がとれる。

2.「出来ない、そんな才能は無い」と、区切ると、私は相手みたいにできない。相手みたいな才能はない。あの人みたいにできないし、才能もない。あの子みたいにできないし、才能もない。

と意味がとれる。

でも、前の歌詞から意味を取っていくと2番目の解釈がしっくりくる。

才能はどこお店でも売ってくれない。つまり、自分にはあの人たちのような才能がない。

天にいる神様も、自分みたいなガラクタは、あなたの手によって行われることすら、汚してしまうのですか。

ここの歌詞で「わたし」と出てきたのでこの子(自分)はおそらく女の子。自分だけが知っている、一瞬のうちに生まれた、小さな戴冠式。その戴冠式で地位を与えられた凛とすましているあのお姫様と入れ替わらせてほしい。

ミルククラウンとは、牛乳を牛乳に一滴落とすと美しい王冠状の形ができる現象のことをいうので、戴冠式とはミルククラウンのこと。

ここで出てくるソーニャとは罪と罰に出てくるソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワのこと。彼女の別名はソーニャ、ソーネチカ。ソーネチカは、曲の題名にもなっている。

本家PVでは、少女がソーニャだと思われ、彼女の頭には冠のようにミルククラウンがある。


嘘ばかりのちっちゃな世界で罪を犯して、それを恨んだり、咎めたりして何の損に、特になる?

ここで、ちっちゃなをtinyと言い換えている。

歌詞に、シスターや神さまと出ているところから「愛を説いて 満足気な 教科書」は、聖書を表している。

罪だらけの世界で、愛では何もできない、間違いだと禁じてください。


立ち止まって、自問自答をしてみた。どうしてこんなに自分が許しを乞うのか。考えると馬鹿馬鹿しくなって、立ち尽くしてないてしまった。

自分自身の意識まかせに、改まった態度で空を仰いでみたが、空の色に不釣り合いなカラスが目に入って、その色がアクセントになり、雰囲気を台無しにしてしまった。


そのまま部屋にこもって、寝たふりでやり過ごして石のように固まってしまった。

背中に指を指されて責められている感覚が申し訳ないくらいいやで、恥ずかしい。消えてしまいたいほどに。

つまり、自分は引きこもっていて、いろんなことから逃げようと思ったけど、今頃いろんな人に迷惑をかけている。消えてしまいたいと思っている。


上手に笑って相手を怒らせない方法を教えてほしい。そうすれば、相手とけんかになったりいじめられることもないのに。

心に秘めている、汚い願望をこう問いかけすることによって取り繕って隠した。


世の中にある、ありふれた言葉は何を仮定として浄、不浄、善、悪だといっているのですか。

自分が正しいふりをして清廉ぶらずに私の問いの答えをくださいシスター。

どうか、私の犯した罪を見逃してください、シスター。



出来そこなった自分は誰にも手をかけてもらえなかった、相手にされなかった。

膝を負って踏まれるのを耐えていたって、誰も助けてくれなかった。

あんまりです、平等に見逃してもらえるわけじゃないんですね。これが解だったんですね。

私のようなガラクタが懺悔しても、罪は見逃してもらえないんですね。



だって、ちっちゃな世界は嘘ばかり。罪を犯して、それを恨んだり、咎めたりして何の損に、特になる?

愛の教典(聖書)は何を書いているか私には理解できない。

ここで「愛を説いて 満足気な 教科書」を「愛の教典」と言い換えている。

こんな聖人の名文句はすべて「大げさ」なきれいごとだとつぶやいた。自分の問いの解は簡単だった。

世界は平等じゃなかった。これが自分の見つけた解。

色づいて咲き始めるていた花が、今日微笑むように咲いた。



自分なりの物語の簡単な解釈


少女は集団でいじめられたりからかわれたりして、踏んだ方も心が痛いのよと言っていたことがまるで嘘のように踏まれた。

そして少女はひきこもるようになるが罪悪感で消えてしまいたくなる。

そして自問自答し始める。そして考えた挙句、この世界は平等じゃないことに気が付き、自分の求めていた答えにたどりついた。そこで世界は簡単だったと知った。

こんな感じのストーリーを罪と罰に出てくる物語やそこに出てくる娘、ソーニャと重ねているのではないでしょうか。



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これは自分なりの解釈です。矛盾やおかしいところも多くあると思いますが、どうか目をつむってくださいorz