昨日は広島の原爆記念日でした。明後日は長崎ですね。…広島出身の父方の祖父が原爆で亡くなっているので、原爆の日には思うことがいろいろあります。

 

祖父は広島市の爆心地のすぐ近くに勤めており、瞬時に亡くなったようです。何らかの役員を務めていたため、会社の役員室の位置で身元が判明したよう。さもなければ残っていたのは骨だけだったので、祖父と断定するのは難しかったでしょう。


父はその頃、兵役に出ており満州にいました(ちなみにまだ子供だった母は呉の海の近くに住んでおり、早朝から港で泳いでいた時、例のきのこ雲を見たそうです)。が、父の妹は広島市にいて原爆症になりました。ところが後にアメリカ人と結婚してユタに移住しています(なのでユタには親戚がたくさんいます)。満州から戻って妹の面倒を見ていた父は、そのあたりをどう思ったでしょうか。

 

そして、同様にアメリカ人と結婚してハワイに住む私を、どう思っているのでしょう。…父は私が23歳の時に亡くなっているので、知る由もありませんが。

 

…大昔、兄がユタの叔母の家から高校に通うことになり、学生ビザ取得のためアメリカ大使館に面接に出かけた時のことです(1960年代末か70年代の頭)。父も面接に同席しました。面談したアメリカ人の領事がちょっと上から目線で、兄にビザを出すことを躊躇するようなことを言ったとか。

 

その時、父は怒って領事に怒鳴ったそうです。「こっちの親は原爆で死んでるんだ! 断ってもらって結構! あんたに頭を下げてビザをもらうつもりはない!」

 

するとすぐ、領事はビザを出したそうです。ちょっと逆説的ですが、父の一喝、相手にへーこらするより効きましたね。

 

一方、ここハワイはご存じのように日米開戦の地ですよね。毎年、12月7日の真珠湾攻撃の日は、ちょっと気持ちがモヤ~ッとして。そういえば9月11日の同時多発テロの直後、義父に聞いたことがあります。「今回と真珠湾攻撃の時と、どっちがショックでしたか」。な~んで私もそんな微妙な質問をするのでしょう(仕事柄?)。

 

義父は、ちょっと口ごもって言いました。「…真珠湾攻撃かな」。

 

ハワイに住んでいると、こうして戦争に関しては複雑なものを感じます。特にうちの子供たちのように、身内に原爆の被害者を持つ人は、それほど多くないですしね。でも。原爆と真珠湾の両方を身近に知るハワイの人たちだこそ、平和を語る好位置にいるのかもしれません。

 

少なくとも、うちの子供たちは「原爆がなければ日本は最後の一人になるまで戦って滅んだろう。原爆は日本も救った」とか、アホなことは絶対言いません。エノラゲイの搭乗員などはそう言っていたそうですが、そうとでも信じなければ、彼らは気が狂ってしまったのではないでしょうか(原爆で広島では14万人、長崎では7万人が死んでいますから)。

 

原爆の悲劇から81年。「あの過ちが繰り返されないよう」、ハワイに住む日本人として祈るばかりです。世界中がきな臭い今こそ、人智を超えた祈りのパワーが必要な時なのかもしれません。