【最期の数日間】

再び、眠りから覚めたのは、

12月22日早朝

その日は朝から血圧が低い


何度測っても、脈も触れにくい


しかし唸って痛そう

このままだったら、座薬を使わないとまた苦しむと


タイミングと量なども

学習してきてたので


朝9時半頃

座薬二錠を入れた。


その後、訪看さんがきて

バイタルを確認してくれた。


やはり、血圧は低く、

脈も非常に弱かった。


と、そうこうしてるうちに、

呼吸が弱くなる。


家族を呼ぶようにと

LINEで招集。


浮腫もあったので、点滴も全て取って

綺麗にしてあげたかった。


訪看さんもその意見。


しかし先生は

微量にして、確保はしてほしいと。


また、在宅酸素入れましょうか?と

提案してると、訪看さんから言われた。


わたしは、即座に


「必要ですか?」と聞いた。


もうすぐ天に帰っていく母に

これ以上の医療は

もう十分にやった。


点滴も病院と思われるほど、

毎日変え

薬を注入し

看護師をやり切ったと思った。


元々は、余計な医療はしたくなかったのだ。


が、そばに居た息子が、

してあげたいと。

おばあちゃんが、こっちを見たと。

「するに決まってるじゃないか!」とギロっと、

わたしの方を見たと。



1時間後に、在宅酸素が届いた。


すると、みるみる母の唇がピンクに鮮やかになり

呼吸も落ち着いていった。


酸素、すごし


確かに母は楽になった。


呼吸抑制は、坐薬のせいだったようだ。


夕方から、また唸り出した。


義姉や兄たちと確認しながら

夜7時半頃

強い鎮静作用の点滴を静かに落とした。


そこから母は眠りについた。


その日は、そんな状態だったが、今朝、

息子の声掛けには、


「おはよう」

と発したらしい。


確かに、孫の顔見た途端、母の表情が

パッと明るくなった。


それが最後の言葉だった。