【できなかったという想いを抱きしめて】

介護と育児はどんなに頑張っても

後悔が残ると言われてる。


わたしも母で今回が3人目だったが、

義母や父の時、母のことさえも、

こうすればよかったな

など、思うことがある。


とりわけ父は、癌の疼痛や排尿障害など、

平安な日というのがあまりなく、

病院も遠く、あっという間に亡くなってしまったこと。


何故もっと傍にいてあげられなかったか。


日帰り手術の時でさえ、父は翌日、

自ら車で運転して受診した。


普段、弱音を吐かないのに

その時が一番辛くて、

誰かにいて欲しかった

という言葉が

頭の中をぐるぐる🌀回転して

離れないことがある。


母に関わる方や、祈りに覚えていただいてる方も

そんな体験をした方々がいた。


ある1人のヘルパーさんは、

「わたしもこうしてあげたかった」と、

来るたびに話し、

丁寧にケアに当たってくれた。


そのヘルパーさんは、

父のことを知ってる方で、

父の思い出も語ってくれた。

(かつて、カラオケ大会で🎤父が人形をおぶって、おしんの子守唄を熱唱したことを覚えていた。30年前の話💦)



他にも、

そんな声をチラホラと聞いた。

中には、


「智恵子さん、ありがとう。

私は母の側にいてあげられなくて、、。

今、お母さんの側にいてくれてありがとう。」

と。


同時に、母を同じ病院で亡くされたと、

小耳に聞いた、業者さんもいた。

辛かっただろうに。


みんな多かれ少なかれ、

喪失があり、

その喪失と共に生きておられるのだ。


もっとしたかった、したあげたかった。


みなさんの想いを抱きしめながら、

感謝の想いを持ち

介護にあたった。


私は父の喪失とどう向き合ったかというと、

結構、執着していた。


でも半年前、

ある友人がお母さんを在宅で看取った姿をみて

気持ちが軽くなった。


始めは羨ましさがあった。


私はできないだろうなと思った。


でも、見ているうちにわかったことがある。


詳細は伝えられないが、

心から、Kさんには

こうしてお母さんと一緒に過ごしながら

天国に送るのが最善だと


そう神様は、

Kさんには必要だと

与えてくれたんだと、思うようになって

感謝の気持ちが溢れてきた。


父とのお別れの仕方は、

神様が決めてくれて、

最善な方法だったんだと思えるようになった。


どちらかというと、

私と父は絆が強く、

父が与えてくれた、愛はとても大きかった。


きっと神様が、

大丈夫、絆が強い分

このお別れの仕方でいいよ

と言ってくれてる気がした。


実は母は

もちろん愛してくれたが、

女同士ということもあり、

わだかまりもあった。


そのわだかまりを和解と赦しの時間として

与えてくれたんだなと。


いやもう病気になってからの10年ほどは

母は柔和な人に変えられたので

むしろ笑顔と平安を与えてくれる人になって

いた。


だから、当然ながら母には、

イライラ、怒りも起こることはなかった。


日に5-6回のオムツ交換、総勢200回も

一度も辛いと思ったことはなかった。

疲労感はあったが💦🤭