【ユーモアに普通に暮らす】

当初、家で最期を看取ることは、

あまり考えてなかった。

病室に空きが出る3週間を目処に考えていた。


でも、看てるうちに、家で看とれるかもと

想いが出てきた。


なので、今回からは

【家で看とるということ】をテーマに綴っていきたい。


ターミナル期の看病は決して暗いまでも

辛いものでもない。

それは家でもどこでも同じだろう。

義母、父に続き、3回目の看とり。

病院にいても、笑いがあった。


そして、普通に暮らし接することなのだろう。

母も、週単位で病状が変わっていった。


熱発が出たと思ったら、

今度は、タール便で、オムツ交換のたびに

黒い便が出た。


そして、黄疸による痒み。


その都度、対症療法で点滴に止血剤、

抗生剤、軟膏がでて、対処した。


流石にげっそりした時もあったが


訪看さんやヘルパーさんに、

聞いてもらったり、

ユーモアに話し、時に笑いがあった。


聞いてもらうことって、大事。

そして笑いも。


退院時より、時々痛みもあったようだが、

いかんせ、どこがどんなふうに痛いのか

この唸りは、痒みなのか?

あまりよくわからない。


人は全てはわかりきれない

痛みも取って代われるものでもない。


だから、

ベッド横にいて、ズシーンと

可哀想にと暗くしてるよりは、

側にいながら

普通に暮らしていた。


それは、最期まで

周りに兄弟、子ども、孫たちに囲まれ、

ワイワイガヤガヤ

どーでもいいことを話しながら

笑いながら、

この部屋で共に過ごした。


そして、最後まで触れた。


もう臨終時だからと言って

触れることを、はばかることは

なかった。


ケアの時に、

呼吸が止まりそうになったこと、

しばし

あったが、

みんなで声をかけあい、


足浴をした。

手浴をした。

オイルを塗った。


家で看取るって、こうなんだと

わたしにも新たな体験だった。